過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

郷土史研究の語り合い

郷土の歴史について、郷土史家の木下恒雄さんを、森町の村松達夫さんと訪ねる。初対面だが、挨拶抜き。いきなりトップスピードの語り合い。
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気田(けた)の町のできた背景にある王子製紙の設立、それをつくった渋沢栄一。小俣の山林を王子製紙に売ったのは、郷土の偉人、金原明善

25歳で気田村の村長になった中村和三郎。父親は森町の三倉の村長。親子で村長をした。中村和三郎は、全国の農協の基礎となる全国組織帝国農家一致協会を森町に設立、晩年は三島神社や天宮神社の宮司を務める。

遠州三河地方の起業精神の基盤には、「報徳仕法」がある。二宮尊徳の教えが息づいていた。

そのほかにも、秋葉山神仏分離令秋葉寺は破壊され、御神体可睡斎に持っていかれる経緯など。
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ひとつの話題をぽーんと投げると、次々とつながる。タテにヨコにひろがる、深まる。スピーディなやりとり。一つ一つ関連する歴史事実を確認していく。推理していく。こういう語り合いは楽しい。

郷土史研究は、春野町では、ひとり木下恒雄さんが屹立しているのだが、となりの森町は、郷土の歴史についての探求、熱意、人材が豊富にいる。

寄らば大樹の陰で合併してしまった旧市町のアイデンティティの喪失、合併せずに独立を維持した町と村。その郷土の歴史に対する熱意と誇り。その差を感じた。

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