過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

さて、「れいわ新選組」はどうか

東京暮らし40年。役所との関わりは、問題意識、身体感覚的に関わりはほとんどなかった。サラリーマン暮らしが長かったし、役所には住民票をもらいに行くとか、確定申告だとか、その程度のかかわりしかなかった。政治には無関心。

田舎に移住してみると、過疎化対策はどうしたらいいのか。親子の遊び場はどうしたらいいか、身近に感じることとなった。

行政と住民とのありようが、みえてくる。こちらで企画提案して、採択されれば委託事業が行えたり、いろいろに助成金の活用の道があることも知った。企画提案の仕方もわかってきた。
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そんなことで、「政治」を身近に感じ、問題意識が生まれてきたのだった。この年になって、やっと勉強中だ。

それまでの政治のイメージはというと、「右とか左」とか「イデオロギー」であったり、政治家は、役所に圧力をかけたり調整をはかる「口利き」のようなイメージ。

「業界や団体」の利益ために圧力をかける。補助金を出せ。規制を緩和しろ。運用を弾力的にしろ。乱暴に言えば、役所から金を取ってくる。予算を持ってくる。公共事業を持ってくる。そんなイメージ。

役所は市民が騒いでも、かんたんには動かない。騒げば、いわばうるさいなあと、クレーマー扱いされる場合もある。だが、政治家が乗り出すと動かざるを得ない。政治家は、市民の代表として選挙で当選しているわけだから、それが仕事ではある。
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かつての、自民党というか国は、地方へのバラマキ政策だった。田中角栄型というか。それはそれで、景気の底上げになった。

地方に暮らすと公共投資のありがたみはわかる。仕事はない。産業はない。そうなると、公共事業が頼みとなる。土木業者、建築業者、農家がが自民党の票田にもなったわけだ。

それにしても「政治」には、やはり「利権」の色彩が強い。政治家のまわりには、隙あれば取り行おう、利益を誘導してもらおう、みたいな人が集まりやすい。政治家のビジョンとか政策は二の次みたいなところもある。
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有権者にしても、「あの議員と知り合い」「あの人に頼めばなんとかしてくれる」とか、「こないだ会合に挨拶にきてくれた」とか、そんなことを自慢したがる。議員は議員で「こんちわ、はいさようなら」みたいな、顔見せが多い。票にするためには、顔を売る。

まあ、そういう政治のイメージが強い中、今回は、山本太郎の「れいわ新選組」に期待しているところ。昨年は、枝野の「立憲民主党」に期待したんだけれど、そのブームは去ったかなあ。さて、「れいわ新選組」はどうか。