過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

信教の自由と反社勢力の問題

①信教の自由は保証されている。どんなにカルト的に見える宗教を信じていようが、会合に参加していようが、法的には問題ない。政治家であっても問題ない。
憲法(第20条)にはこう記載されている。
第1項:信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
第2項:何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ただ、その宗教教団が「反社」的であった場合は、信教の自由を逸脱しているとみなされる。
④「反社」とは「暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人」と定義され、民間企業においても、この定義のもとに反社会的勢力との関係遮断に取り組んできた。(企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針:平成十九年六月十九日犯罪対策閣僚会議幹事会申合せ)
また、「暴力団対策法」(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)と「暴力団排除条例」が施行され、暴力団及び暴力団と繋がりがある人は「密接交際者」と認定され、警察からの勧告を受けたり社会的に排除されるようになった。
⑤私のようなものでも、銀行口座を開設したり、行政に補助金の申請などをする際に、かならず反社勢力と付き合いのないことを示すための誓約書に署名捺印が必要である。
⑥しかし、行政のトップの内閣総理大臣安倍晋三など)において、「反社」勢力と密接なつながりのあったことが、これまで「桜を見る会」の招待者などで明らかにされてきた。(例)悪徳商法ジャパンライフなど。
⑦しかし、政府は閣議決定において、「反社」の定義はできないと言ってきた。
「政府としては、反社会的勢力については、その形態が多様であり、また、その時々の社会情勢に応じて変化し得るものであることから、あらかじめ限定的、かつ、統一的に定義することは困難であると考えている。(中略)網羅的に確認することは困難である。」(令和元年十二月十日 内閣総理大臣 安倍晋三
統一教会(現・世界平和統一家庭連合)は宗教団体である。それが、いかなる教義であっても、それを信ずる自由はある。
教祖の文鮮明は、日本はサタンの国であり、天皇に土下座させる。朝鮮半島を支配していた贖罪でもって日本は金を出すべきだ。日本はすべての物質を収拾して、本然の夫であるアダム国家である韓国の前に捧げなければならないと述べている。そんな教えでも、信教の自由はあるのだ。
⑨しかし、統一教会が「反社」であった場合は、問題となる。そして統一教会が、強制や威嚇、詐欺による献金、壺や印鑑など不当に販売してきたことは、「暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人」にあてはまる。
「宗教を名目に、金員の支出を図るため、その方法・手段を秘して、文鮮明を信じ込ませ、あるいは因縁による害悪を告知して恐怖に陥れて、多額の金銭を献金させることは、社会的相当性を逸脱した不法行為である」と判決(京都地裁2002.10.25)にもある。また、1997年に最高裁が旧統一教会による霊感商法の違法性を認める判決を出している。
さらに、多くの裁判を抱えている、2020年1月9日時点で、訴訟の損害賠償請求の総額は、約40億円。1件あたりにすると、3,000万円になる。
⑩これまでの事件や裁判などで、統一教会の「反社性」は事実といえる。ということで、統一教会という反社勢力とつきあってきたり、広告塔になったり、秘書に使ったりしていた自民党の議員(いやしくも国民の代表である)たちは、問題である。
⑪しかし、それが法的に違法なのかどうか、法的に罰せられるのかどうかというと、難しい。総理や大臣や議員が、統一教会のために何らかの職務権限を行使したという具体的な事実があれば、犯罪の可能性が出てくる。贈収賄罪にあたるのかどうかは、よくわかない。「公務員はすべて国民全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」(憲法15条2項)のであるから。
⑫だが、世論の指弾を受けて、議員辞職しても、また再選されたら「禊は済んだ」ということで堂々と政治活動するのが、これまでの日本の土壌である。