過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

稲束を背負って上り下り

宮沢賢治の手帳に書かれた「雨ニモマケズ」に「西に疲れた母あれば行って、その稲の束を負い」という一節がある。
稲束がどれくらい重たいか。4年間、田んぼをやってきたので、それはわかる。
現代、多くの農家は、コンバインで刈って、そのまま脱穀する。ぼくたちは、稲刈りして稲架掛(はざかけ)して、2週間ほど天日干ししてから脱穀する。平地だから、そんなにたいへんではない。
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かつて、山に暮らす人々の農業は、たいへんだったろう。まず棚田だ。山から田んぼまで下りていく。稲刈のときは、稲束を背負って坂を登る。それを何度も往復する。重労働だ。
もう一つの大きな問題は水だ。この万瀬の集落には、川が流れていない。沢もない。水を汲みに谷まで下りていく。それを毎日繰り返した。片道20分くらいかかったという。
今の時代、そんなことができる人はいないだろう。おばあちゃんたちは、それを毎日、毎日、毎年、毎年、やり続けてきた。そのことが当たり前の日々。
この、おばあちゃんたちは、それをやってきた。たいへんだったけど、おかげで健康だと笑う。
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それこそが、まさにアート(芸術)。生き方がアートだ。本人たちは芸術だなんて、思うはずがない。生きるためだから、当たり前のことと。
日本はこうして農業をつづけてきたんだな、すごいものだと感じた。日々、重労働を尽きることなく続けてきた。まるで「千日回峰行」みたいだ。
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こういうおばあちゃんたちの話を、もっと聞いていきたいものだ。昨日の、万瀬の集落の人たちとインドネシアの家族との交流会で出会って聞いたことだ。あかりを可愛いがってくれた。

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