過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

インドネシア人の家族(4人)の家と食品加工所さがしのお手伝いをした

インドネシア人の家族(4人)の家と食品加工所さがしのお手伝いをした。山里を移動して、春野、森町、磐田の空き家、レストラン、地域でもてあましている施設などを、「山暮らし倶楽部」の杉山さんとともに案内する。

きっかけは、友人(沖縄に住んでいるかれらの長男)のDさんに、依頼されたからだ。「頼まれごとは、試されごと」なので、縁があったときには、動けるときは動く。それがまた、自分の生き方の〈たから〉にもつながると思う。
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彼らはイスラム教徒なので、「ハラール」という、イスラム法上で食べることが許されている食材や料理の加工所を作りたいという。ハラール表示の食品は、日本に暮らしているイスラム教徒には、とても必要に迫られている。

あちらこちち案内した。3,000坪の土地にいくつもの家のあるところ。ここを拠点にすれば、家族たちが結婚しても、みんなでコミュニティができる。さらには、モスク(礼拝所)をつくれば、各地からイスラム教徒が訪ねてくる。
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近ごろ友人が借りたという広いレストランの見学、近くの古民家とぶどう畑、食品加工所も見せてもらう。

杉山さんがマネージしている「ぼうらや」(昨年閉店した山の中のレストラン、食品加工所。高地で太平洋が見える。集落で国の補助事業で立ち上げたもの、ヘリポートもあり)も案内。自己破産してそのまま残っている、春野の料亭とパチンコ屋も案内しようしたが、また次の機会に。
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かれらは敬虔なイスラム教徒なのて、案内しているときでも、時間になるとメッカの方向に向かって深遠な祈りを捧げていた(1日5回、祈る)。

生き方の根底にイスラムの教えがあり、行動、食物、すべてにわたって、宗教的な精神に支えられている。教えによって、お酒などまったく飲まないし、借金もしないという。

日本では失われてしまった武士道のような、自己を律する生き方に、感銘するものがあった。
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かれらが山里に暮らすようなことになれば、インドネシア人のインバウンドの受け入れ、また技能研究生の受け入れなど、地元の仕事にも関わる可能性も出てくる。

たんに山里の活性化ということではなく、 これからの異文化交流社会のさきがけともなる。

ところで、かれらの曽祖父が日本人なのだ。日本兵としてインドネシアにやってきて、敗戦になっても日本に帰らず、結婚してインドネシアに骨を埋めた。その子孫たちが、浜松の山里にやってきて、山里の活性化にもつなげていくとしたら、なかなか意義深いことと思われた。

 

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