過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ひとたび、「信」の道に入ると、疑うことは悪と自らを責め、修行の妨げとなると思い込む

オウム(1)若くて純真な時代、偉大な真理に出会い、偉大な教えを示してくれる師匠に出会ったとしたら、信伏随従したことだろう。師匠のため、なんでもいたします。それこそが、真理に生きること、人々の救済のためになると信じます、と。

かなしいかな若いときは、その師匠をなかなかみわけられない。ひとたび、「信」の道に入ると、疑うことは悪と自らを責め、修行の妨げとなると思い込む。なので、師匠を間違えることほど悲惨ことはない。

オウムの信徒だった人を、10人以上は知っている。語り合ったことも、仕事も依頼したこともある。みんなよく仕事ができた。いい加減な仕事ではない。きちんと〈かたち〉にできる人たちばかりだった。そして、とても真面目であった。

もともと優れた素質のある人たちが、オウムに惹かれて出家していたこともある。また、瞑想修行で磨かれたこともあったろう。五体投地を何千回とか、独房修行数ヶ月とか、結跏趺坐のまま一週間とか、まことに限界の修行をしていたのだから。

そして、かれらはみな〈ワーク〉として励んでいたのだ。瞑想もワーク、土木作業もワーク、ヘリコプターの免許を取るのもワーク、薬物投与もワーク、拉致監禁もワーク、人を殺すのもワークということになっていったのだろう。

密教の中核である経典に「大日経」がある。そのなかに「方便究境」(ほうべんくきょう)ということばがある。(菩提心を因と為し、大悲を根と為し、方便を究竟と為す:大日経住心品)

方便とは、真理に至る道、手段のことなんだが、密教においては、手段こそが、真理に至る道そのものが、真理であるというみかたもされる。すなわち、日々の現実の営み、なにかを建設するときの足場、それらが一つひとつそのまま真理であると。

なので、どんなへんてこりんなことを指示されようが、すべてこれ真理である。修行である。魂の救済につながる、と。オウムではそれを、マハー・ムドラーとよんでいたのだろう。

これはカルト教団のことだけではない、国自体が、おかしな方向に行き、洗脳されてしまうこともある。かの太平洋戦争の時、「聖戦」と信じ、多くの若者が戦地に赴いて殺戮しあった。上空から、あるいは海底から、敵艦に体当りしていった。「天皇陛下万歳」と叫んで。そして、多くの敵の命を奪うことは、英雄と称賛された。戦死したら、英霊として神として祀られた。そんな時代があった。

……オウムについての思うことを、書き綴っていく。