過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「霊的な悩み抱えた人との市井の坊さんのガチンコ奮闘記」みたいなもの

有名な大先生の本よりも、市井の無名の坊さんを探し出して、それを本にするのがいいんじゃないの。たとえば、「霊的な悩み抱えた人との市井の坊さんのガチンコ奮闘記」みたいなもの。

いま「密教」の本作りの企画をしていて、いろいろなお坊さんに聞いているところ。友人の坊さんからは、そう言われた。

なるほど、それはそうだ。しかし、そういうお坊さん、どこにいるのかなあ……。そう思っていたら、彼がいろいろ体験していたのだった。すこし紹介してみよう。

彼がお寺にいた時、霊的な悩み抱えている人かよくやってきた。
そういう人は、なかなか相談する場所がない。頭がオカしいと言われかねない。医者に行っても理解されない。安定剤と睡眠剤のクスリの処方だけ。

なかなか解決しない。泥沼の中。行くところがないで、お寺にやってきたという。そういう人の相談を、ガチでたくさんやってきた。

次々と訪れる霊障を抱えた人たちの相談に応じていて、彼がわかってきたことがある。

ひとつには、だいたいは本人が霊障だと思い込んでいる。霊の仕業なのか、思い込みなのか、そこがごっちゃになっている。あるいはよくみられるのは、統合失調症とか精神乖離障害の方だ。

では、そういう人に対して、どんなことができたのか。どんな実践をすすめたのか。

彼がいうのは、「外在化させる療法がいい」という。悩み、苦しみを内に抱え込まないで、外に出すという方法だ。

かといって、一人ひとりの悩みを聞き、カウンセリングしていくのは大変だ。時間もかかる、エネルギーもいる。そこですすめたのが「折り鶴療法」だ。

たとえば、「お母さんごめんなさい」と書いて、鶴を折る。悩みや苦しみ、反省の気持ちを折り鶴に書いていく。書いたものを折り鶴にしていく。数がまとまったら、寺に持っていく。祈祷とお焚きあげをしてもらう。そういう過程で病や悩みが解決する場合がある。それをよくみてきたのだという。

こんなケースもあった。死んだ夫が霊となって現れる。怖くて仕方がない。あちこちの霊能者に祈祷してもらっても、また元にもどってしまう。

折り鶴療法を勧めたが、本人はまったく治らないという。夫の霊がいつも現れるという。しかし、よく聞いてみると、夫に対しての嫌悪感はまったくなくなってきたという。効果が出ているじゃないですか、それが効果じゃないですか、と伝えた。

この療法は、どこにも出られない・行けないという人にいい。

家では折鶴ができる。まとまったら持っていく。外に出かけるきっかけになる。お寺に行くという目標ができる。ひきこもりの人もいいのではないか。

笹舟を作って、その笹船に悩みや苦しみを書いて、川に流すという方法もある。ひとつひとつ流れていくという実感がもてる。

そんな話を聞いたのだった。なるほど、こうした現実の、市井の、無名の、ガチンコの体験のある坊さんの話をまとめるというのもおもしろいなあと思った。