過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ああ、もう10年早く移住していれば、もっと可能性がひらけたのになあ

いま農業やっても、食っていくのは難しい。多くの農家は、大量の肥料と農薬、そして大型機械を入れて、なかなか収益が上がらない。農協だけ儲かる仕組みという見方もできる。

これからの方向としては有機農業がいい。食の安全と安心が求められてくるので。

でも、有機農業は手間がかかりすぎる。草との戦い、堆肥作りなど。日々、余裕がない。なにより「売る」ことが難しい。売るための工夫と作るための工夫、その両立が難しいと感じる。

それでも都会近郊でやっていれば、大消費地があるので、可能性はあると思う。過疎地の山里で有機農業というと、これはなかなか難しい。販売ルートの開拓が難しい。

そうすると、最低限の自分の食べる食は確保して、現金収入は、ほかの道をさがすことになる。そういう「半農半X」としての生き方は山里では、できる。ただし、会社勤めできるほどの雇用は山里にはないので、自由業という道を歩める人しか、それはできない。

新規に農業する人を助成する「新規就農支援制度」というのがある。45歳までなら、年間120〜150万円の助成金得られる(ただし5年間)。その期間がすぎると、助成金に依存した暮らしになっていると、自立が難しいということはある。

でも、農業をやってみたい人にとっては、かなりのサポートになる。なにしろ山里には、土地がたくさんある。耕作放棄地はひろがるばかり。地元の人は高齢で農業がつづけられない。ちゃんとやるなら、全部、譲るよ。お茶の畑も田んぼも、農機具も。山だってあげるよ。そういう声も聞く。

だから、若い人には山里での農業はチャンス。でも若い時って、山里に田舎に住みたいとは思わないんだろうね。ぼくがそうだった。都会のほうがおもしろい。仕事もたくさんある。友達もおおい。

山里は、仕事はない。いわゆる都会的な文化レベルは劣る。地域の閉鎖性もある。自然が豊かといっても、それだでけでは暮らしていけない。

それで、定年退職したら、田舎に住もう。そういう人はたくさんいる。しかし、どこ住もうかと迷っている内に、60も後半になる。10年過ぎたら70過ぎなわけで、もう体力が伴わなくなってくる。ああ、もう10年早く移住していれば、もっと可能性がひらけたのになあと、そんな思いをもつ人も多い。