過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

山里で暮らすには「健康」とある程度の「お金」があること

山里暮らしを始めたSさんと話していて、そうだねーといつも思うこと。山里で暮らすには、「健康」であること。ある程度の「お金」があること。

山里では、たいしてお金はかからない。家賃はものすごく格安。畑も田んぼタダで借りられたりする。ひろい作業場もある。

でも、健康であったこそだ。ひとたび健康を損なうと、山里はたいへん。病院まで遠い、遠い。薬を処方してもらっても、一日がかりとなる。クルマが運転できなくなれば、どこにも行けない。バス停までも遠い。バスは一日に1本とか2本とか。

そうして、やはり「お金」だ。最低限の収入の確保は必要。ひとり暮らしなら、年に100万円で暮らしていることも可能かもしれない。しかし、仕事はなかなか、ない。ただし健康であれば、お茶の手伝い、木の伐採やら、ニッチの世界で仕事は探せる可能性はある。

そうして、大自然の素材を活用して、いろいろな作品を作る。家をつくったり、木工や作品を作る。田んぼや畑を借りて、有機農業も始められる。

その意味では、若いときに山里に来ると、いろいろと可能性がひろがる。しかし若いときは、やはり都会がいいとおもってしまう。定年過ぎて、さあ田舎暮らしと思って山里に来ても、10年したら70だ。体力はすこしずつ失われていく。

多くの人が、もうすこし若いときに、せめて10年前に来ていたら、もっといろいろ展開ができたなあと思ったりするわけだ。