過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「後の者が先になり、先の者が後になる」現実が

生き方のありようの見直しを迫られる。人は死ぬ。 家族が死ぬ。親しい人が死。この自分が死ぬ。そういう当たり前の真実が、リアリティとして迫ってくる。そういう現実になってきた。
死んだら死んだで、おしまい。そうなったら、それはそれで仕方がない。
だけれども、生きている間は、ちゃんと生きなくちゃいけない。
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ちゃんと生きるためには、まずは食べ物だ。金の延べ棒よりも、株よりも、不動産よりも、現金よりもまさに「食べ物」が必要になってくる。米だ。小麦だ。麺だ。でんぷん質だ。ミルクだ。保存が効くものだ。そういった食べ物の確保と備蓄が始まるだろう。
もしも、銀行が破綻しそうになりば、取り付け騒ぎが起きる。破綻なんてするわけないと思っていても、わからない。みんなが預金を下ろすということになれば、自分の預金が危なくなる。みんなが下ろしにいけばに行けばさっとすれば銀行は閉鎖になってしまう。
トイレットペーパーもそうであったが、「なくなるはずがない」とわかっていても、みんなが買いに走れば在庫が消えてなくなる。だから買いに行かざるを得なくなる。食料だってそうなる。
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今は宅配便、物流業者がしっかりしているので、なんとか末端まで血流が届く。しかし、もしも物流が止まったら完全にアウトだ。
そうなると、まさに自給自足。自分で畑を耕して食料を作るしかない。まあ幸いなことに、こうした山里にはふんだんに畑はある。山菜は生える。木の実もある。清流がある。燃料となる薪もある。切実なサバイバルの時には、過疎地の田舎が、山里が強い。
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そういう時代に来れば、大都会のタワーマンションに住んでいても、食料がなければ全くどうしようもないわけだ。農業であり過疎地である山里や田舎が強みを発揮する。「後の者が先になり、先の者が後になる」(聖書:マタイ伝)。
そんなことが、日本だけではなく全世界的規模で起きてきている。まさにパンデミック。その速度が実はとても速い。都市の封鎖。集会の禁止。 渡航禁止。そして恐ろしいのは医療崩壊。そういう現実が、すぐそこにやってくるかもしれない。