過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

日本は文書主義

国会は、事前に質問書が提出され、事前に答弁が作られ、担当大事がそれを読みげるというシステムになっている。総理にしても同様。

原稿は誰が書いているのか。官僚が書くのだ。大臣はそれを読みあげるだけ。官僚たちは、後ろで心配そうに見守る。質問されると、大臣がたまに立ち往生することがある。そのとき、官僚が出てきて補足説明する。

通産官僚の親友がいたが、国会が始まるころは、答弁の資料作りに深夜に及ぶ。野党のつまらん質問に、すごく時間が取られて本来の仕事ができないとぼやいていた。

ときには泊まり込み。丸いすを並べて、横になる程度。あまりの過労で、上司の課長は亡くなったと聞いた。その葬儀をとりしきった上司がまた、深夜帰宅するとき、タクシーが追突されて亡くなった。まあ、国家官僚はよく働いているんだなあと思った。

質問する野党は、突発的な質問は許されない。事前に質問書を提出しておく。おそらく一か月前とか、時間的な期限があると思う。それをもとに、若手官僚たちが資料を作る。ま、質問する野党のほうも、スタッフが書くのだと思う。それをもとに議員が質問する。

聞くほうも答えるほうも、自分で考えるのではなくて、スタッフたちが作る。事前に答えもできている。まあ、そうすると、いわば脚本を元にした芝居のようなのが、国会ともいえる。

おそらく、県会も市会も町会も似たようなものだと思う。かつて、既成仏教会の宗会議員大会の取材をしたことがあった。日蓮宗真言宗智山派豊山派、泉涌寺派など。こうしたお坊さんの世界も、似たようなシステムである。宗会議員が質問すると、内局のつくった資料を元に、財務部長とか布教部長とかが答える。

発言した内容は、文書に残るのでとても慎重なる。その場にいる人達のためよりも、文書にきちんとした答えを残していくことが大切。文書にすれば、わかりやすい。広くつたわる。後々に残る。

こうしてみると、最初から文書でやり取りすれば、もっとわかりやすいし効率的ではないかとも思えてくる。いやそれじゃあ、人間の顔が見えないし、突発的な臨機応変の答えからみえてくるものがある。思わず本音が垣間見えることがある。ので、人と人とのやり取りが大切ということだろう。

裁判になると、これは言葉の厳密な世界だから、ほとんどが書面やり取りだ。原告と被告が準備書面を月に一度、裁判所に提出して、文書対文書でやりあう。直接、原告と被告が問答を交わすということは、まったくない。ので、ゆうに一年以上かかる。最後のときに補足で、証人が出てきたり、裁判官から質問されたりすることがある程度だ。

ということで、ほとんどが文書でなされているのが、この国(立法も司法も行政も)のありよう。なので、いい仕事をするには、論旨明快な文書を迅速に書く能力が必要ということになる。