過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

靖国神社を参拝した さながら戦争博物館のようだった

先日、靖国神社を参拝した。神社とはいうものの、さながら戦争博物館のようだった。戦争を賛美し、戦いを鼓舞するようなものが多かった。大鳥居をくぐると、その先にまた鳥居が。その鳥居の左右の柱には、向かって右に、日本海海戦に勝利した東郷元帥のレリーフ、左に旅順を陥落させた乃木大将のレリーフが刻まれている。

参拝してとなりにある「遊就館」に入る。たくさんの武器が展示してある。いきなりゼロ戦が展示だ。映画「戦場にかける橋」で知られている泰緬鉄道の機関車。「枕木一本、死者一人」ともいわれて、多くの死者を出した。さらには、高射砲、機関銃、人間魚雷、爆撃機、鉄兜、手榴弾、鎧と刀、槍……。

いわば、すべてこれ「人殺し」と「破壊する」道具ばかり。館内で上映していた映画は、日露戦争で多くの死者をだした203高地の勝利シーン。さらには、敗戦のときに自決した阿南陸軍相の血まみれの遺書。

展示してある武器は、実物ばかりだから、迫力がある。大きさ、重さ、硬さ、操作性など、リアルに伝わる。しかし、どうして靖国神社に展示してあるのかなぁ。こうしたものは国防博物館でも建てて、そこに展示しておけばよいのかなあとも思った。

戦死した人の鎮魂の場である神社にあるのは、どうもふさわしくない。不自然と感じた。

靖国神社では、すべての戦死者に命(みこと)とつけて、祀ってある。国のために戦死した者は、死んだ瞬間に「神」であり「英霊」となるという考えである。

けれども、戦死者は、志半ばにして不遇の死を遂げた者たちということができる。若くして、さまざまな夢や希望があったのに、その道を歩めなかった。その死に方も、爆死、餓死、溺死、病死など安穏ではなかったろう。

親に先立って死ぬ、妻と子を残して死ぬ、家の跡取りでありながら、それができずに死んでいったわけだ。お国のため、天皇陛下のためという思いで死んだとしても、やはり無念さがあったことと思う。

いくら神だ、英霊だと呼ばれたとしても、〈たましい〉はやすらいではいない、と思う。無念の思いをもった御霊(みたま)を安んずる、鎮魂する場こそ、靖国神社ではないかと思う。

そうかんがえると、靖国神社は鎮魂に重点をおいた聖なる空間であってほしい。やはり深い森がほしい。明治神宮のような森。広葉樹を植え、長い年月をかけて、森をつくっていけばいい。参道はいまのようなアスファルトじゃなくて、白い玉砂利がいい。拝殿にいく参道が車道のために断ち切られているのも、具合がわるい。落ち着かない。

そうして、なにより静かに祈れる場がほしい。いまの拝殿は、柏手を打ってそれでおしまい。うしろのひとが使えているので、佇んでいられない。また、お年寄りが休める場所だってほしい。いま、腰掛ける場所は、なかなかみあたらない。

国のために命を捧げた若者を静かに深く思い、国を護るとはなにか、本当の平和とは何かに思いを致す聖なる空間──靖国神社は、そういう場であってほしいと感じた。靖国神社は独立した宗教法人なのだから、外野があれこれと注文つけることはできないのだけれども。