過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

納得のいく「看とり」と「おくり」を考えよう

2本目の企画書。考案中。こちらも浜松市の文化事業にと提案するつもり。たたき台。

〈テーマ〉納得のいく「看とり」と「おくり」を考えよう

〈事業の目的〉こんなにたいせつなことなのに、病院まかせで、納得のいく「看とり」がむつかしい。亡くなった瞬間から、葬儀屋の出番となる。僧侶による儀式、戒名、そしてお墓など、なかなか納得のいく「おくり」はむつかしい。

「これまでみんながそうやってきた」とか、見栄や世間体によるものではなく、死にゆく人、送られる人の気持になって、ものごとの本質を考えてみたい。

自らが看取られ、おくられる日がかならずくる。自らが納得のいく、看取りとおくりをされるためにも、生きているうちにみんなで考えてみたい。

〈事業の進め方〉

6月から11月までの全6回/月に一度のペースで連続シンポジウム。

講師は、看取りとおくりに関わる仕事をされている方たち(医師、介護士、看護師、セラピスト、僧侶、神父・牧師、葬儀屋、墓石屋など)。納得のいく〈看取り〉と〈おくり〉をされた方、あるいは不満と後悔をかかえた方たち。その体験をきいていく。

参加者とのやりとりを活発にしていく。一方的な話ではなくて、インタビューを行って、彼らの話を素材にして、参加者がともに語り合い、深めていく。それらをまとめて冊子として発刊する。

〈事業の効果〉さまざまな当事者、体験者のトークに接することで、いろいろな看取りとおくりの方法があることがわかってくる。さまざまな選択の道があることで、そこに安心がある。いざというときのための心の準備となる。

さらには、シンポジウム参加者の交流が生まれ、たがいにサポートしあえる関係性にまでつながっていく。

愛する人を看取るうこと、おくること。──人生において、もっともたいせつなことを、伝統やしきたりだけではなく、その本質から考える。それは、自らの生き方を見据えることにつながる。

この連続講座をきっかけに、ひろく全国的なムーブメントを起こしていく。