過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「納得のいく看とりとおくりを考えよう」という連続シンポジウムを進めている

「納得のいく 看とりとおくり を考えよう」──それぞれの看とり、死にかた、おくりかた──という連続シンポジウムを進めている。この企画は浜松市の文化事業として採択されたもの。2月末から3月末まで、合計7回行う。

講師さがしがひとつの大きな山だった。お坊さんの知人は多い。けれども、いざ講師を引き受けてくれるかというと、難しい。地元の僧侶がいい。なにより、講師としての力量が問われる。

さいわい三人のお坊さんが快く引き受けてくれた。内実もしっかりある方たちで、安心。仏事法事、なんでも質問に応じるという笛岡さん。寺独自にエンディングノートをつくって檀家と学びあいをされている稲垣さん。ドイツで禅の指導をされている向さん。この数年、すすめてきた「寺カフェ」の企画で親しくなった方たちである。

さて神道だ。こちらも難しい。知りあいはいるが、引き受けてくれるかどうか。その神社は山奥だし。と悩んでいると、さいわい友人の尾崎さんが、すぐれた神道家を紹介してくれた。わがやにも来ていただいて、志に共鳴してくださった。神道の基礎から、まつりかた、おくりかた、供養にいたるまで、なにを聞いてもちゃんと答えてくださる。

つぎに、キリスト教。こちらが最難関。知りあいに神父も牧師もいない。クリスチャンの友人に聞いてみても、こういう場で講師をする方は、いないという。

じゃあ、地元のホスピス、あるいは関連大学の牧師さんに、あたってみよう。すると大学では、事務局に手紙と申請書を書いて、それをもとに局で会議、関連部署ともはかって……という回答であった。ううむ。そうなると、気が重たい。

そんなとき、Facebookの友だちが、紹介してくださったのが神戸牧師だ。なんと東大の農学部で森林環境科学を学んで、それから牧師への道に入られたという方。40代とお若い。奥さまは看護師をされている。メールと電話でお願いすると、快く引き受けてくださった。友人の牧師さんにも、パンフを渡してくれるという。

そうして、インドの死生観もあったらおもしろい。ということで、スワリナリさんに依頼すると、これも快く引き受けてくださった。仏教の源流はインドにあり。インドの人の死生観、輪廻転生、供養のあり方なとも、自在に話してもらう。

最後の回は、自分で母親を看とり、自分で送ったという池谷の体験を元に、講座のまとめをするという流れである。