過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

相槌ひとつで

相槌ひとつでよくない印象を与えるときがある。むかし学生時代の頃、人の話を「ん、ん」と聞くクセがあった。目上に人に対してもだ。それで、ある人から叱られたことがある。以来、目上の人に対しては、「ん、ん」とは頷かない。「はい」「ええ」にしている。目下には、使っていけどね。えらそうに思われているかも。

親友でいつも「いや」と相槌を打つのがいる。「いや」という相槌だと、なにを言っても否定されているような気がして、会話が滞る。なにか反論しようとしているのかな、と思うと本人は、はいはい、の意味で使っているみたい。かれには、その相槌、感じ悪いからやめなよ、とはまだ言っていない。

もうひとり「そう、そう」というのがいる。むこうから質問してきて、こちらがこたえたときでも「そう」という。「そう」という相槌だと、自分が知っていて「そのとおりだよ」という印象を与える。あんた知っているなら聞かなければいいじゃん。それをこちらがこたえたのに「そう」って、おかしいよ、と。感じる。けど、また指摘していない。

竹村健一が、ガイジンとの英語のやりとりの相槌で「あっそう」とよく言ってた。「フフン?」という相槌ってつかいにくいけど、「あっそう」って、使いやすいなあと思った。

インドに行くと「アッチャー」という相槌がある。「ああそうなの。たいしたもんだね」みたいなニュアンス。インドを旅すると、ぼくはよく使う。マザーテレサにお会いして、いろいろ話しかけたとき、マザーは「アッチャー」と答えてくれたことがあった。