過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ブッダは最高の修行として、二つの心のありようを示した

スマナサーラ長老の本作りをしているところ。「いまからでもおそくない、生きるという仏教入門」みたいなタイトル。章立ては、これから。練り直し。その一部。

───「どんなものにも波立たない落ち着いた心」と「つらいことに対する忍耐をつくること」───

お釈迦さまは、最高の修行として、二つの心のありようを示しました。いつの時代でも、どこにおいても、修行といえばこの二つだけやればいいのです。修行がしたければ、この二つの心をつくるよう、しっかりやってみましょう。

ひとつは、「どんなときにも波立たない落ちついた心」です。
もうひとつは、「つらいことに対する忍耐の心」です。

まず、「どんなときにも波立たない落ちついた心」です。どんなときにも、冷静に落ち着いた心が尊いのです。いいことがあったからといって、舞い上がることがない。つらいことがあっても、くよくよ気に病んだり落ち込まない。いつも冷静に落ち着いているのです。

そしてもうひとつ、「つらいことに対する忍耐の心」です。ひとは、さまざまな苦しみを味わいます。この人生は、いいことよりは悪いこと、つらいことのほうが多いように感じられるかもしれません。しかも苦しいこと、つらいことは、予告なしに突然やってくるように思います。自分は何も悪いことをしていない。けれども、予期しない災難が襲ってきたりします。「なぜこんな目に遭わなければいけないのか」と、被害者意識をもって、不平不満の心が膨らみます。愚痴が出ます、怒りが起こります。そんなときこそ、しっかりと忍耐するのです。

最高の修行というのは、こういうことなのです。ふつうの生活のなかで、いくらでも平安な心を作らなくてはならない場面、忍耐をしなければならない場面が起こってきます。日常の暮らしのなかにこそ、修行の機会があるのです。洞窟にこもって断食をしたり、滝に打たれる行などをして、わざわざ苦しんで忍耐の精神を育てる必要はありません。

これはやってみると、かなりたいへんで、もっとも難しいことです。それに比べて、祈ったり、呪文を唱えたりすることは、ずいぶん簡単だと思います。この二つの実践によって得られる心の最高の状態こそが「涅槃」なのです。涅槃とは、すべての現象から心が自由な状態で、あらゆる現象に触れても、心が少しも波立たないことです。一切の現象から離れている心。「涅槃」こそ、人間の到達するべき最高の境地です。この二つの修行をがんばっていると、最高の境地である涅槃にまでいけるのです。