過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

じわじわと燃え続け、悩まし続けるその心

来月から仏教の勉強会の講師を頼まれたので、最古の経典である「ダンマ・パダ」をパラパラと読みかえしている。で、こんな言葉があった▲「悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。徐々に固まって熟する。その業は、灰に覆われた火のように、徐々に燃えて悩ましながら、愚者につきまとう」(ダンマ・パダ 21)

よいことをすればよい結果があり、悪いことをすれば悪い結果がある(善因善果、悪因悪果)というのが、仏教のひとつの法則▲だが、悪いことをしても、すぐにその報いを受けることはない。「灰に覆われた火のように、徐々に燃えて悩ましながらつきまとう」と。

わがやはいま火鉢なので、炭の喩えはよくわかる。就寝のまえに、真っ赤に燃えた炭に灰をかけておけば、朝方まで火が保っている▲灰に覆われた炭火は、じっと、静かに、絶えることなく、ずんずんと、火が続いていく。そして、あるとき燃える素材(縁)があれば、勢いよく燃えさかる▲おなじように、わだかまり、怒り、抑圧した心というものは、一挙に爆発しない。ずっと心の底で、じわじわと燃え続け、あるとき、一挙に爆発してしまうこともある

そもそも悪いことをしなければ、じわじわと心を苦しめることにはならないのかもしれない▲でも、ついつい、悪いことをしてしまうのが人間。また、なにがよいか悪いかなんて、わからないともいえる▲問題は、じわじわと燃え続け、悩まし続けるその心をどうしたらよいか、ということ。そこに、仏教の知恵と実践があるとみた。