過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【絶望感とは】2026.07.12

【絶望感とは】2026.07.12

苦しい時の感覚の言葉化。苦しみを感じる時の解像度あげてみた。嘆きでも怒りでもない。体験を現象として観察しようとしている。

心配と同情はご無用。体験と観察の言葉化への踏みこみ実験につき。

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絶望感 少し体を動かすと訪れるもの。それは酸素不足によって生じる身体的な極限状態。そのときに現れる「絶望」という心理体験。

絶望感とは何だろう。

先がない。後もない。ただ、このいまの苦しみだけがリアルに続いていく。終わらない。

心にも身体にも、まったく余裕はない。ただただ苦しい。

気持ちが悪い。真っ暗な闇の中にいるような感覚。

全力を出し切って身体が苦しいというのとは違う。たとえば全身で号泣することも苦しいだろう。しかし、そこには充実感や達成感、あるいは「まだやれる」「前へ進もう」という躍動感やエネルギーが残っている。

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私の場合は違う。

もう終わる寸前みたいな感じ。

積み上げた石垣が崩れ落ちていくような感覚。崖から落ちそうになって、もうどうしようもない。その寸前にいるような感じ。

「何とかしたい」「助かりたい」という思いさえ薄れていく。ただ絶望の闇中へ、静かに沈んでいく。そこに救いがなさそう。

上へ向かうのではなく、下へ沈んでいく感覚。広がっていくのではなく、閉じていく感覚。全身が締めつけられ、色彩は失われ、世界は真っ暗になる。

そのとき、自分が消えてしまうわけではない。しかし、自分と世界の境界がなくなり、世界そのものが自分になってしまうような感覚がある。

世界の苦しみを、自分がそのまま感じている。私の世界は、そのまま苦しみと感じる。それが私にとっての絶望感。

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この状態は、一日に何度か訪れる。おそらく酸素飽和度が69〜70%程度まで低下したときに起きている。心拍数は130以上にもなる。

酸素吸入器で毎分10リットルの酸素を数分間吸うと、ようやく回復する。その絶望感から解放される。

だからといって幸せになるわけではない。ただ苦しさが和らぎ、「ようやく生きた心地がする」というところまで戻るだけ。

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あのときの私は、いわば死にかけているのかも。もし酸素吸入器からの酸素が入らなければ、そのまま死んでいく。

その瞬間、身体や心には何が起きているのだろう。

そのことを観察し、探究しようとしている。その探究の先に何があるのか、それは分からない。