過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

③【寝たきり文章術】2026.4.12

③【寝たきり文章術】2026.4.12

本作りのための原稿執筆のモチベーションアップのために連載しています。 感想ください。

❖沈みゆく潜水艦、言葉という光を灯す

ここで、私の病の経緯を述べたい。

この本の根にある出来事だから。いわばこの本のエンジン部分だ。

●沈みゆく潜水艦の艦内

今の病の状態は、肺は繊維化し、肺活量は三割を切ろうとしている。「大きく息を吸って」と言われても吸えない。ふいごの皮袋が固くなったように――。吸ったとしても 空気がたまらない、空気から酸素を吸収できないのだ。

よく例えるのは「沈みゆく潜水艦の艦内」だ。

沈んでいく 潜水艦は、空気が満たされず次第に苦しくなっていく。 もはや逃げ場もない。そんな暮らしを送っている。

潜水艦は沈みつつあるというと、なかなか絶望的に聞こえると思うが、内部の光はまだ消えていない。

暗いからこそ、光ははっきり見えることもある。

私にとって光とは言葉であり 自己観察である。言葉は、沈みかけた自分を、わずかに上へ引き上げてくれる。

自己観察は今この瞬間に気づく、 今ここに生きているというところに立つことになる。

●空咳は続くが元気だった

一年前はまだ元気だった。

娘と川で泳ぎ、カヤックを漕いだり、滝壺に飛び込んでいた。

空咳がよくでるので、気になったものの「大したことはない」と高を括っていた。

しかし異変は確実に忍び寄っていたのだった。

秋、庭でミョウガを採ると呼吸が苦しい。雑巾がけすると、肩で息をするようになった。

「おかしい‥‥。これは、ただごとじゃない」。

さすがに不安になって、山里の診療所で受診すると、医師は「早速レントゲンを撮りましょう」という。

6年前に撮った画像とくらべると明らかに、肺は白く濁っていた。

「もしかしたら間質性肺炎かも。そうだとしたら、一番苦しい病気ですよ。すぐ専門病院へ行くといい」。

医師は医大への紹介状を書いてくれた。

だが、一日つぶすしたくさんの人がいてストレスだなあ。ということで、先延ばしにしていた。

その間、東京で本作りのための取材をしたり、熱海の道場で宿泊瞑想会に参加もしていた。

●「特発性間質性肺炎」という指定難病

だが現実は非情だ。ますます咳は止まらず、少し動くと息苦しい。

「これはいよいよ」と観念してやっと専門病院にいった。四か月後だった。 

肺の細胞を採り、肺の洗浄、肺活量や六分間歩行の検査をすると、「特発性間質性肺炎」という指定難病と診断された。身体障害者となった。

すでに肺活量は六割に落ちていた。

恐ろしいのは、肺は一度壊れると、もう元には戻れないということだ。

「不可逆性」という言葉が重く響く。

治らないと言われた。処方薬(Ofeb)は病状を止める薬であった。

「治らないなら、薬を飲んでも仕方がない」という思いもあり、モチベーションも湧かずちゃんと飲まなかった。

しかし、病状は坂を転げ落ちるように悪化していった。

布団を敷くだけでも息は切れ、心臓の鼓動は120を超える。階段の昇り降りもままならず、いつの間にか体重は四十キロを切ってしまった。

●やがて寝たきり生活に

やがて生活はベッドの上に限られてきた。一日に歩くのはせいぜい十歩ほど。苦しいからだ。着替えるだけで息が切れ、落とした錠剤さえも拾えない。いまは四六時中、酸素吸入器をつけている。寝ているときにも。

ベッドからボールペンが落ちても、拾い上げるだけで息が苦しい。落としたものはそのまま放置となる。

立て膝をつくだけでも息が苦しい。

朝、下着を交換するだけで、酸素血中濃度は80を切る。

肺活量が少ないから、酸素が取り込めなくて苦しい。苦しいから体を動かさない。

動かさないから筋力は著しく落ちる。筋力が落ちるからますます呼吸が苦しくなる。悪循環が深まっていく。

やがて一気に繊維化が進行していったようだ。歩行が困難になってきたところで、やっとクスリを飲み出した。

そのためか「数値的には、辛うじて繊維化は止まってきている」と医師は言う。

まことに体は脆いものだ。

「この体は瓶のように脆く、病の巣であり、崩れ去るものだ」。最古の経典『ダンマパダ』の言葉を噛み締める。

●不安と後悔が押し寄せてくる

「あの時、気づいておれば」という後悔や不安が霧のように立ちこめる。数々の「ああすればよかった こうすればよかった」という反省と後悔と懺悔が押し寄せる。

過去には過ぎ去ったことだ。「今」にしか生きていないのだから、この今を丁寧に生きるしかない。

そのように思っても、やはり不安は襲ってくる。

「今に生きる」と「過去の後悔」と「未来の恐れと不安」が交錯してくる。

●結跏趺坐に挑戦してみた

寝たきりのために 、たちまち筋肉は失われていく。筋肉が少ないと、少し動くだけで身体にかなりの負荷がかかる。一度 しゃがみ込んだら 自力では立ち上がれない。

足の筋肉は相当なくなり、大変 細くなっている。

平安時代の巻物で「餓鬼草紙」の絵があるが、あの餓鬼のような脚をしている。

このまま寝込んでいたら、体の向きを変えるだけで呼吸困難になりそう。かと言って 今から 筋トレ やリハビリができそうにない。

何とかしよう。

寝てばかりじゃ、エネルギーが閉じていくし。鬱になってしまう。

そんなある日、突然思い立った。

「そうだ、せめて結跏趺坐をしてみよう。エネルギーを整い心を安定させるかも。それが今できることかな。」

こうして筋肉をつけていくことで、動ける体になるかもしれない。そこにトライしてみようと思った。

結跏趺坐は元気な頃は、いとも簡単に30分でも1時間でもできたことである。 しかしいざやってみると背を立て、腰を立てるのは苦しい。

これは無理と思った。 

しかしここで諦めなかった。すこしやりつづけてみたら、なんとかできそうになってきた。支えがなくても、坐れたのだ。ほんの数分だが。

●坐る 立つ 歩くから挑戦

そして翌朝。

腰を立てて結跏趺坐でちゃんと坐ってみた。

「おお、まだできるじゃないか。」

10分ばかりだが、やってみたらできた。いくらか元気になったような気がする。達成感があって嬉しかった。

坐りながら、ひたすら呼吸に意識を向けてみる。体の膨らみ、縮みに意識を向ける。思考は追わない。

深い呼吸が、内臓や背中や腰、足の筋肉を動かすのがわかる。

ベッドの上のマインドフルネスの実践とも言えるか。

その翌日には、立ち上がろうとするプロセスをじっくりと感じてみた。座ろうとするプロセスもだ。

そして、そろりそろりと歩いてみた。酸素吸入器は7リッターにしている。

右足を上げる、足を運ぶ、かかとを下ろす。左足を上げる、運ぶ、下ろす。これで10歩、20歩をトライしてみた。そうしてまたベッドの上に戻り、結跏趺坐に戻った。

つねに今ここ、この瞬間に気づいている、観察していることだ。

今ここにいる、今ここにある。

評価も価値判断もしない。

この身体はそのようにしないと、辛くて動けないのだ。 動きそのもの、身体の自己観察せざるを得ないのだ。

そんな世界を探求していく。内側からの観察をするしかないというところにいる。

●「すべては移ろいゆく」は、救いでもある。

この身体は、素焼きの水瓶のように脆い。やがては壊れて使いものにならなくなる。

一瞬たりとも同じ状態ではありえない。まさに無常。

条件は瞬間瞬間、変化する。 心の動きも瞬間瞬間、変化する。

私の心も万物も、一時として同じ状態に留まらない。全てが移ろいゆくもので、それは諦めとも絶望ともいえる。

だが、無常だからこそ、無限の可能性がある。「すべては移ろいゆく」ということは、救いでもある。

確かなのは「今」の自分だけ。

いまここの自分を受けいれていく。自分を観察しつづけていくことしかできない。

だからこそ、そこを徹底して見ていく。それは、ありがたい修行のようなもの。新しい生き方の組み立ての探求だ。

肉体は不可逆だが、精神やエネルギーの質は可逆(変容可能)と思いつつ。