過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

道元、日蓮、親鸞、それぞれ型というか気質に差がある

鎌倉時代の祖師が好きである。
大きくは三人。

日蓮型:わりと激質。困難にくじけない。ますます信念を強くする。「折伏」と「四箇格言」に代表されるように、へこたれず強盛に教えを説いていく、迫害に遭えば遭うほど「自分が正しい」と感じる。そして、他の教えは間違いだと強烈に伝えていく。当然、反感を買う、しかし、負けないで信念を貫く。

親鸞型:「自分は正しい」という姿勢はない。むしろ「間違っていた」という自覚がある。縁によってともない、そして離れる。そして、どんなに努力しても救われない自分という無力感、ダメさを感じている。そこに徹しているがゆえに、阿弥陀如来の無限の救いを感じるというところが出てくる。おまかせの境地。

道元型:いまここに徹する只管打坐。座るのみではなく、日常所作すべてが坐禅である。過去を振り向かず未来を心配せず、ただいまに徹するという姿勢。
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この現実世界に生きていると、さまざまな障害がある。困難がある。やるべきことがたくさんある。「おまかせ」は深い境地だが、しかし現実の所作は、一つ一つ乗り越えていく。いわば日蓮型がこの世では有効。

ただ瞬間瞬間の生き方に徹すると、なにを実現しようとか達成しようとか関係なく、いまここに充実している。

そして、究極期には、無為自然自然法爾、おまかせの境地に。