過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

気持ちを込めての朗読と、そうでない朗読

「おとうちゃん。コンピュータの声って、ちっともつたわらないよね。どうしてなんだろう」

──それはね。気持ちが入ってないからだよ。なにかしゃべる時、気持ちを込めるかどうかで、伝わり方がちがうんだよ。
たとえば、あかりちゃん、と平板にいったら伝わらないでしょう。
あかりちゃん、と相手に伝われるように言うと、伝わるでしょう。

「うん、たしかにそうだね。教科書に“おもいうかべながらよもう”って書いてあるね。わかってきた」

──そうそう。それだよ。じゃあ、北原白秋の「五十音」読んでみようか。

それから、気持ちを込めての朗読と、そうでない朗読を実演してみて、また読みあった。それで勢いがついて、おとうちゃんと国語の教科書の音読をやったのだった。

まあこのように、あかりがふと疑問をもったり、あれ?どうしてかなあ、というときに、すかさず教えていくっていうことをしないと、勉強は苦痛になる。

今朝のあかりとのやりとり。