過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「それにしても」などという表現を使えるようになったか

あかりは学校に行くのはやめた。ので、いつも家にする。
しかし、そうなると賑やかすぎる。

おとうちゃんは編集の仕事、おかあちゃんは事務とNPO法人やら一般社団法やらの決算で忙しいのだ。

あかりは、ほっておかれる。すると、「みてみてー」「あそんでー」「どうやったらいいのー」とまとわりついて、仕事に手がつかない。

「ええーい、うるさいなあー」とどけると、またやってくる。それを繰り返しているうちに、やがて取っ組み合いのプロレスになる。泣き出す。仕返しに蹴っ飛ばしにくる。

とはいうものの、あかりは午前中はダンボールの工作に打ち込んでた。そうして、つぶやいていた。

「それにしても、きょうはお父ちゃんとおかあちゃんは、いつになく喧嘩してないねえ」

──「それにしても」などという表現を使えるようになったか。お父ちゃんは感心し笑えた。

妻が言う。
──おかあちゃんとおとうちゃんは、感覚が違いすぎるの。

「そうだよねー。わかるわかる」
あかりは、つねにおかあちゃんの味方だ。

「それにしても、どうしてあかりが生まれたの?」
──それはねえ。神のはからいってもんだよ。

「おとうちゃんとおかあちゃんは仲がよかったんだ」
──そうだね。最初の頃はね。いまでも仲が悪いわけじゃないよ、いろいろ意見をお互いにバンバン言うので、衝突があるってワケだね。

「でも仲良くしてて子どもが生まれるって、不思議じゃないの」
──うん。そこがまた不思議なことでね。まさに、神様のはからいってもんなんだよ。

あかりがいるおかけで、おとうちゃんとおかあちゃんは、幸せに暮らしているし、学ぶことがいっぱいあるので幸せってことだよ。