過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

隊一次大戦中、フランス軍で活躍した日本人パイロット

戦争というと、日露戦争と太平洋戦争だ。日本にとって「第一次世界大戦」は、関わりが少ない。ドイツの領土の青島(チンタオ)を爆撃したくらいか。さらに、背景となるヨーロッパ事情は複雑なので、たいして関心がなかった。
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「日本人のための第一次世界大戦史」(板谷敏彦著 毎日新聞出版)を読み出したら、これがなかなかおもしろい。
なんと日本は大戦中、駆逐艦隊を地中海に送りこみ、ドイツのUボートと戦っていたという(『日本海軍地中海遠征記』河出書房新社)。
フランス軍で活躍した日本人パイロットもいた。その人は、滋野清武(しげの きよたけ)。バロン滋野と呼ばれる。
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その生涯が破天荒だ。陸軍幼年学校に入学したが、校風になじめず転校。学習院中等科に在学時、1級上の志賀直哉や有島生馬たちに、ぶんなぐられる。
音楽の家庭教師だった作曲家の山田耕筰の勧めで、上野の音楽学校(現東京藝大)に行く。コルネットを学ぶ。若くして結婚したが、妻は亡くなる。
単身パリへ行き音楽を学びながら、パイロットの資格を得る。日本に戻って、陸軍飛行学校の教官となったが、喧嘩して長続きせずまた、フランスへ行く。
やがて第一次世界大戦が始まるや、フランスの外人部隊に志願する。陸軍飛行大尉に任命される。ドイツの飛行機を6機を撃墜した。この戦功が認められ、1915年レジオン・ドヌール勲章とクロワ・ドゥ・ゲール勲章をもらっている。
大正2年には「国民歌劇会」の賛助会員となる。後援者が、森鷗外与謝野鉄幹・晶子など、すごい面々。
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長男の滋野清鴻はジャック滋野の名でジャズピアニストとして活躍。三木鶏郎ジョージ川口と同じバンドで活動し、「和製カーメン・キャバレロ」の異名を持った。
清鴻の弟の滋野清旭はロジェ滋野というドラマー。このバンドのリーダーがジェリー藤尾バンジョー奏者に高木智之(ドリフの高木ブー)、セカンドシンガーに仲本工事ジャッキー吉川とブルー・コメッツの前身「ブルー・コメッツ」の結成者という。