過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「未済」をもって終わりとするところに古代の知恵の深さが

尊敬する学者に河合隼雄さんがいる。河合隼雄さんを通して、心理学、とくにユングの思想を学んでいる。河合さんの講演とフルートのコンサートを一番前の席でお聞きした。13年前のことであった。その1か月後、河合さんは脳こうそくで倒れて、一年後に亡くなった。

河合隼雄さんの、「老いる」とはどういうことか、から最後のところを引用。文のしまい方も絶妙だ。
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老人の知恵というとすぐに想起する書物に『易経』がある。三千年も昔に中国で書かれた書物であるが、今読んでもまったく素晴らしいものである。

現在では、「易」というと易者のする占いのことと考える人が多いと思うが、『易経』は、もともとそのようなことを意図したものではない。

人間が自然現象を見るときに、山は山、川は川、と別々に見るのが普通である。それをさらに細かく細かく分類していって区別を明らかにし、それらの関係を明らかにしてゆく、という見方がある。そのような見方を洗練していったのが西洋近代に起こった自然科学である。

これに対して、山も川もすべてを全体として把え、そこに自然の流れとでもいうべき姿を見ようとする見方がある。そのような見方によって把握した根源的なイメージが『易経』のなかに描かれているのである。これはまさに、老人の知恵と呼びたい性格をもっている。

ところで、『易経』の六十四番目の卦は「未済」で、文字どおり未だととのわず、話はこれからというイメージである。そのひとつ前の六十三は「既済」で、ものごとすべて成るというイメージである。

なんだか変な感じだが、よく考えてみると、「既済」を最後に置かず、あえてて「未済」をもって終わりとするところに古代の知恵の深さが感じられるのである。

それにならって、本書も「未済」をもって終わりにさせていただく。
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「老いる」とはどういうことか(河合隼雄著 講談社+X文庫)