過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

日本海軍の脆さ。百田尚樹「永遠の0」から

日本海軍の脆さ。作戦を考えた大本営や軍令部の人たちにとっては、自分が死ぬ心配が一切ない作戦だった。兵隊が死ぬ作戦なら、いくらでも無茶苦茶な作戦を立てられる。ところが、自分が前線の指揮官になっていて、自分が死ぬ可能性がある時は、逆にものすごく弱気になる。勝ち戦でも、反撃を怖れて、すぐに退く。
百田尚樹永遠の0」から、一部抜書き。
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「私、太平洋戦争のことで、いろいろ調べてみたの。それで、一つ気がついたことがあるの」
「何?」
「海軍の将官クラスの弱気なことよ」
「日本軍て、強気一点張りの作戦をとってばかりじゃなかったのかな」
「強気というよりも、無謀というか、命知らずの作戦をいっぱいとっているのよね。ガダルカナルもそうだし、ニューギニアの戦いもそうだし、マリアナ沖海戦もレイテ沖海戦もそう。有名なインパールもそう。
でもね、ここで忘れちゃいけないのは、これらの作戦を考えた大本営や軍令部の人たちにとっては、自分が死ぬ心配が一切ない作戦だったことよ」
「兵隊が死ぬ作戦なら、いくらでも無茶苦茶な作戦を立てられるわけか」
「そう。ところが、自分が前線の指揮官になっていて、自分が死ぬ可能性がある時は、逆にものすごく弱気になる。勝ち戦でも、反撃を怖れて、すぐに退くのよ」
「なるほど」
「弱気というのか、慎重というのか――たとえば真珠湾攻撃の時に、現場の指揮官クラスは第三次攻撃隊を送りましょうと言ってるのに、南雲長官は一目散に逃げ帰っている。
珊瑚海海戦でも、敵空母のレキシントンを沈めた後、井上長官はポートモレスビー上陸部隊を引き揚げさせている。もともとの作戦が上陸部隊支援にもかかわらずよ。
ガダルカナル緒戦の第一次ソロモン海戦でも三川長官は敵艦隊をやっつけた後、それで満足して敵輸送船団を追いつめずに撤退している。そもそもは敵輸送船団の撃破が目的だったのに。この時、輸送船団を沈めていれば、後のガダルカナルの悲劇はなかったかもしれない。
ハルゼーが言っていたらしいけど、日本軍にもう一押しされていたらやられていた戦いは相当あったようよ。その極めつけが、さっき聞いたレイテ海戦の栗田長官の反転よ」
姉の口から詳しい戦記の話が出てきたので驚いた。相当、様々な本を読んだのだなと思った。
「なぜ、そんなに弱気な軍人が多いの」とぼくは聞いた。「多分、それは個人の資質の問題なのだろうけど、でも海軍の場合、そういう長官が多すぎる気がするのよ。だからもしかしたら構造的なものがあったと思う」
「どういうこと」
将官クラスは、海軍兵学校を出た優秀な士官の中から更に選抜されて海軍大学校を出たエリートたちよ。言うなれば選りすぐりの超エリートというわけね。これは私の個人的意見だけど、彼らはエリートゆえに弱気だったんじゃないかって気がするの。もしかしたら、彼らの頭には常に出世という考えがあったような気がしてならないの」
「出世だって――戦争しながら?」
「穿ちすぎかもしれないけど、そうとしか思えないフシがありすぎるのよ。個々の戦いを調べていくと、どうやって敵を撃ち破るかではなくて、いかにして大きなミスをしないようにするかということを第一に考えて戦っている気がしてならないの。
たとえば井崎さんが言ってたように、海軍の長官の勲章の査定は軍艦を沈めることが一番のポイントだから、艦艇修理用のドックを破壊しても、石油タンクを破壊しても、輸送船を沈めても、そんなのは大して査定ポイントが上がらないのよ。だからいつも後回しにされる―」
「でも、だからって、出世を考えていると言うことはないんじゃないかな」
「たしかに穿ちすぎた考えかも知れない。でも十代半ばに海軍兵学校に入り、ものすごい競争を勝ち抜いてきたエリートたちは、狭い海軍の世界の競争の中で生きてきて、体中に出世意欲のことが染みついていたと考えるのは不自然かな。特に際立った優等生だった将官クラスはその気持ちが強かったように思うんだけどー。
太平洋戦争当時の長官クラスは皆、五十歳以上でしょう。実は海軍は日本海海戦から四十年近くも海戦をしていないのよ。つまり長官クラスは海軍に入ってから、太平洋戦争までずっと実戦を一つも経験せずに、海軍内での出世競争の世界だけで生きてきた」
ぼくは心の中で唸った。姉の意外な知識の豊富さにも驚かされたが、それ以上に感心したのが、鋭い視点だった。
姉は続けた。
「当時の海軍について調べてみると、あることに気がついたのよ。それは日本海軍の人事は基本的に海軍兵学校の席次─ハンモックナンバーって言うらしいけど、それがものを言うってこと」
「卒業成績が一生を決めるってことだね」
「そう。つまり試験の優等生がそのまま出世していくのよ。今の官僚と同じね。あとは大きなミスさえしなければ出世していく。極論かもしれないけど、ペーパーテストによる優等生って、マニュアルにはものすごく強い反面、マニュアルにない状況には脆い部分があると思うのよ。それともう一つ、自分の考えが間違っていると思わないこと」
ぼくは背もたれに寄りかかっていた上半身を起こした。
「戦争という常に予測不可能な状況に対する指揮官がペーパーテストの成績で決められていたというわけか」
「私は、日本海軍の脆さって、そういうところにあったんじゃないかなと思うの」
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永遠の0」(百田尚樹著)より
このあたり、かなり本質を突いていると思うのだが。