過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

春野町の一日

山里は豊かな自然がある。資源の活用など、可能性はたくさんある。だが現状は、お年寄りばかり。人は減るいっぽう。春野の人口は4600。10年で22%の人口減。50年代の3分の1だ。

仕事がない。次々と空き家は増える。活気というものは、感じられない。たまに出会う人とのやりとりは、もうは未来はないね。だめだねという話ばかり。元気は出てこない。未来は明るいという感じはもてない。

これは全国の過疎地のありようだろう。田舎暮らし8年目の実感だ。

昼間、あかりを連れて、デイ・サービスを訪ねてみた。60床もある大きな施設。医者も看護師もいる。スタッフだけでも50人くらい。

1階フロアーは通いの利用者、2階は入所者。どちらのフロアーもあたりまえだけど、お年寄りばかりだ。1階の利用者は、男性比率が8割くらい。2階の入所者は、女性比率が高かった。ほとんど車椅子で、みなさんテレビで高校野球を見ていた。

あかりをみて、あらまあ、とぱっと明るく喜ぶ方あり。どこの子なの?お名前は? よくきたね、と声をかけてくれる。あるいは、ほとんど無表情な方も。ぐるりと歩いてみると、病室には寝たきりの方たちもたくさん。

利用者が多いと、ちょっとコミュニケーションがとりにくいかな。あかりも、帰る、帰るという。なにしろ突然の訪問なので、居場所はむつかしい。

帰りに、ひとり暮らしのおばさまの家を訪ねる。みなさんもう80代。1軒目、カーテン閉めて玄関が施錠されていた。近所の人に聞くと、2か月前から、圧迫骨折で入院されたという。2軒目も3軒目も留守。4軒目のMさんは、おられた。

縁側に座ってよもやま話。あかりには、お菓子をくださった。気力体力も衰えた。足がないので、どこに行くにもバスを乗り継いで、一日仕事だという。しかも、近くに親戚はいない。一人娘も亡くなった。ご主人は、認知症で施設にいる。ひとり暮らしの不安は募るという。

帰宅すると、86歳になる竹細工の梅沢さんが若林くんと共に訪ねてくれた。ここからクルマで50分、奥深い山里に暮らしておられる。すこし耳は遠くなったが、適確なことばが次々と出てくる。

10代で大怪我で片足失い、独学で竹の雑器を作って生計を営んでこられた。まことにしっかりされていて、とても謙虚。芯の通った生き方の凛としたお姿を感じたのだった。