過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

すべてのことはボーナスのようなものだった ホーキング博士

こんなインタビュー記事を見つけた。
ああ、ホーキング博士が亡くなったんだった。

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21歳のとき、人生の期待値はまったくゼロになった。
それからというもの、すべてはボーナスのようなものだった。
(運動ニューロン病の診断を受けたとき)

My expectations were reduced to zero when I was 21. Everything since then has been a bonus❞ - Interview. New York Times, December 2004

この49年間は、いつも死と隣りあわせだった。死は怖くなんかない。でも、死に急いだりはしない。なにしろ、やりたいことが山ほどあるんだ。

I have lived with the prospect of an early death for the last 49 years. I'm not afraid of death, but I'm in no hurry to die. I have so much I want to do first❞ -Interview, the Guardian, May 2011

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「それからというもの、すべてはボーナスのようなもの」。

ぼくも16のとき、クルマにはねられて頭を打った。死ぬところだった。そしてまた、半年後にまた頭から落ちて意識不明。こちらも、あやうく死ぬところだった。

こうして長らえてきたのは、まさにボーナスみたいなものかなぁ。
生かされていて、ありがたいと思わねば。