過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

意味よりも響きを、声を響かせて気持ちのよいことを中核にしている

あかりは、お経も祝詞も参加するようになってきた。なんみょーほーれんげきょーー、と唱えると一緒に声をだす。

かしこみかしこみ、まおすーーーー、と祝詞をとえると、一緒におーーーと声を響かせる。柏手もパンパンと。(向かっているのは、写真には見えないけど、十一面観音と金剛界漫荼羅)

近ごろ、自分なりのお経と祝詞をいくつか編集してきた。いろいろと試してみたが、意味よりも響きを、声を響かせて気持ちのよいことを中核にしている。そうすると、心身が統一されると感じる。

いまはお経よりも、祝詞がここちよい。中国音よりも、大和言葉の響きを味わうとよい。ただ、祝詞だと、たかまのはらにー、かむづまりますーーー、かむろぎかむろのみこともちてーー、と長い。それで、神さまの名前だけにしてみた。

たかまのはらーーーー、あめのみなかぬしーー、くにとこたちのみことー、あまてらすおおみかみーー、すさのおのみことーーー、そんなふうに神様の名前を響かせている。

さらには、ひふみの祝詞カタカムナ、とほかみえみため、あえいおうーーーとつづく。

これらには、玄妙な意味があると思うが、こでは省く。いまは意味よりも、音の響き、母音の響きを心身に味わっている。エネルギーが通りますように。祈りと感謝を乗せて、響かせる。