過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

公明党の立党の目的は、そもそも国立戒壇の建立にあった

板曼荼羅真偽論争に決着」という本の企画のことを書いた。友人が執筆していたのだが、「世に出ないのはもったいない」ということで、ひとつ企画させてもらおうということになった。

信徒数は1,000万人余という社会的な勢力のある、創価学会顕正会法華講など日蓮正宗系(本山、富士大石寺)の本尊の真偽ということになる。

かれらの信仰の中核たる本尊(大石寺の板漫荼羅)が、はたして「本物かどうか」。

それを教義や文献を主体にするのではなくて、写真と図版でビジュアルに問うというもの。背景の教義は難しいけれども、図版で示すことになる。

神聖なる本尊の真贋を問うなど、冒涜だ。そういう人もいるかもしれない。「とにかく信じていく」人。「では、真実の本尊は何なのか」と探求する人。「物とらわれないと真実の信仰のあり方があるはずだ」と思う人。いろいろと思う。

この本尊の問題は、教学的に論じると難しいので、ちがう角度から説明してみる。

いま政権与党にいて自民党を支えている公明党である。公明党は、創価学会を基盤とする政党であり、ほとんど信徒が支えている。いざ選挙となれば、信徒は全国各地に移動して票の確保にがんばる。公明党は、創価学会政治部といって差しつかえないと思う。

公明党の立党の目的は、そもそも国立戒壇の建立にあった。「戒壇」といっても、戒律を授ける場ではなく拝む場・祈る場である。「国立」、日本国として祈りの場を作る。これこそ、日蓮の遺命である。それが、公明党の大きな目的であった。

公明党が政権をとって、国民の大多数の賛成で、国立の施設を建立する。日本国の人たちが、大石寺に参詣して、板曼荼羅にかって拝めば、国は平和になる。世界からも拝みに来て、みんなが平和になる。そういう理想を描いていた。

国立の施設で、一同が南無妙法蓮華経と唱える。では、何に対して祈るのか。本尊は何かというと、それは大石寺にある日蓮のあらわしたとされる板曼荼羅であった。

その板曼荼羅をあらわすことが、はたして日蓮の真意であったのかどうか。じつは、後世の作であり、すなわちニセモノであったのではないか、というところだ。それを図版と写真でわかりやすく示すというのがも、本書の企画趣旨だ。

ちなみに、後に公明党は「言論出版妨害事件」を起こして国会でも取り上げられ、世の非難を浴びた。そうして、公明党創価学会政教分離され、国立戒壇論は引っ込めたのだが……。

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