うちの田んぼの近くにある仏像。お地蔵さんかなあと思っていた。よくみたら、ちがう。これは役行者(えんのぎょうじゃ)だ。
修験道(山伏)の開祖とされる。仏教・神道・道教・民間信仰などの呪術に長けていた。藭變(じんべん)大菩薩とも呼ばれる。大和国葛城山で修行し、吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築いたとされる。
7世紀の飛鳥時代の人で、空海や最澄より100年以上も古い。年代的にはも、行基とほぼ同じである。
行基は民間で活躍した僧侶であり、かれを開基とする寺院や聖地は日本各地にたくさんある。行基は東大寺の勧進(かんじん=寄付集め)も行い国家仏教の形成にも貢献した。
いっぽう役行者は、山中にこもり呪術を使い鬼などを使役したりして、怪しげな人物と思われ、国家からは迫害される。島流しにあったりするが、夜な夜な空中を飛翔して自由に動くことができたとされる。
この山里一体は、修験道の修行場であったと思われ、古い寺院などの境内には役行者の像が安置されていたりする。
むかしの寺院は、仏教・神道・道教・民間信仰などが混交状態であったようだ。やがて天台宗や真言宗という宗派に属し、さらには曹洞宗の禅宗などにも変わっていく。そうして、明治の神仏分離令で、かなりの寺院が壊された。
神社には仏教の色彩が消え去り、寺院には神道や民間信仰の色彩も消えていった。