明治政府は、天皇を中心とした絶対主義国家体制をつくるために、国家神道を基盤にし
「神仏分離令」であり「神社合祀」が行われた。数多くの寺院が破却された。さらに、「いかがわしいもの」として、数々の宗教、民俗行事も禁止された。
民俗的なもの、民間信仰的なものも禁止された。
六十六部(全国66カ国を巡礼、1国1カ所の霊場に法華経を1部ずつ納める宗教者)、僧侶の托鉢、梓巫・市子・憑祈祷・狐下げ、祈祷もって医薬を妨くる者、裸体・肌ぬぎ・男女混浴・春画・刺青。素人相撲・門付の芸人・万歳。(神々の明治維新:安丸良夫著 参考)
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浜松に普大寺(旧七軒町、現・成子町)という虚無僧の寺があったが、普化宗の禁止から廃寺となった。
この廃寺の庫裏が世界的な楽器メーカーの創業の地となる。
山葉寅楠は浜松高等小学校のオルガンを修理したことをきっかけに、飾り職人の河合喜三郎と一緒にオルガンのレプリカを製作した。
ちなみに、山葉風琴製作所で働いて独立したのが、河合楽器である。創業者は、河合小市。