過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

鎌倉時代の日蓮が、書いていることである

(2)臨終の相について。

鎌倉時代日蓮が、書いていることである。

鎌倉時代日蓮が、書いていることである。

「竜樹の大智度論には『臨終の時に顔の色が黒いのは地獄に堕ちた相である』と。また守護国界主陀羅尼経には『地獄界に堕ちる相に十五種類、餓鬼界に八種類、畜生界に五種類の相がある』と。天台大師の摩訶止観には『身体の色が黒色に変わるのは地獄の姿を譬えている』等と書かれている。

わたしは臨終のことをよくよく習学して、その後に他の学文をしようと念願した。釈尊一代の教えを解釈した論師や人師の書かれたものを学び、これらを明鏡として、一切の人々の臨終の姿とその後に重ね合わせてみると、少しの曇りもなかった。」(妙法尼御前御返事)

「臨終のとき、地獄に堕ちる者は黒色となる。その身の重たいことは千引の石のようだ。善人はたとい七尺、八尺の女人であっても、色黒き者であっても、臨終に色変じて白色となる。また軽いことは、鵞鳥の羽毛のようだ。柔らかなことはトロメン(綿糸にウサギの毛をまぜて織った織物)のようだ。」(千日尼御前御返事)

臨終の時に顔の色が黒いのは地獄に堕ちた相であるとか、成仏した人は、色が白いとか。地獄に落ちた人は重たいとか、成仏した人は軽いとか。それらは、どこまで事実であろうか。

龍樹も天台大師も日蓮も、きちんと事実を客観的に捉えて述べているのだろうか。どうも、アヤしい。とくに日蓮は、事実よりも、それをものがたりとして、講談のように語るところがある。我田引水的に『法華経』の解釈にもっていこうとするところがある。