過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

隠れキリシタンの鏡

隠れキリシタンの鏡を調べていたら新聞記事があった。この鏡は、一見すると普通の鏡だが、太陽光を反射させると、壁面などにイエスの像が光として現れる。いわゆる古来の「魔鏡(まきょう)」とよばれるものだ▲信者たちは、光を反射させて浮かび上がったイエス像に向かって礼拝したのだろう。古くは中国の漢の時代から存在したという。古墳時代三角縁神獣鏡もそうなっているという。

仏教でもこうした鏡があって、ぼくは弘法大師が浮かんでくる魔鏡を見たことがある▲学生時代、巣鴨の地蔵通りの近くに住んでいた。四のつく日が縁日で、いろいろとアヤしげな露店が並んでいた。その中に、観音経やら呪文を唱えては人寄せをするじいさんがいた。

「わしがいまから、真言を唱えるとお大師さんがあらわれるぞ。オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン……さあ!」。すると、鏡が反射した先にお大師さんの姿が現れた▲おお! と驚いて、あたかもじいさんの通力によって起きた現象かと畏れいる人もいた。

このじいさん、観音経を唱えてマッチの軸を自在に踊らせたりもしていた。さも通力があるように見せては、願いごとや先祖の供養を受けていた▲「わしは、金はいらんぞ」というので、なかなか良心的な人なんだなあと見ていると、じつはそうじゃあない▲「わしはお金はいっさいいらぬ。しかし、毎日、神仏に供養を捧げなくてはいけない。その供物代がかかるんじゃ」そう言っては、結局、いくばくかのお金をもらっていた。