過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

隠れキリシタンの歌う〈おらしょ〉

隠れ切支丹のことを書いていて、そういえば〈おらしょ〉って歌があったなあと思いだした。ちゃんとYouTubeにあった。長崎の離れ小島・生月島に伝わっているものだ。ちょっと不思議な御詠歌のような節回しだ。https://www.youtube.com/watch?v=-oS9wR67mDE▲〈おらしょ〉とは、隠れ切支丹が伝えてきた祈りの歌のことだ。祈りを意味するラテン語のオラシオ (oratio) からきている。バロック音楽の楽曲オラトリオにも通じると思う▲切支丹とわかれば即座に殺される。そんななか、命をかけて伝承していった。ラテン語がなまった歌が多いが、日本語の歌もある。「ぱらいず(パラダイス──天国)は、わが胸にある」と歌う。

この春はなこの春はな、桜の花が散るぢるやな。また来る春はな、蕾ひらくる春であるぞよやな(さん・じゅあん様の歌)▲あ−参ろうやな、参ろうやなあ。ぱらいずの寺にぞ参ろうやなあ。ぱらいずの寺とは申するやなあ、広いな。広いな狭いは、わが胸にあるぞやなあ。あ−しばた山、しばた山なあ。今はな、涙の先き(谷)なるやなあ。先きはな、助かる道であるぞやなあ(だんじく様の歌)。

さん・じゅあんとは、イエスを洗礼した聖ヨハネのことだろうか。「桜の花が散る」とは、殉教して亡くなった人たちのことだろうか。「また来る春は蕾ひらくる春」とは、次の世の天国のことか▲そして「ひろいなせまいは、わが胸にある」と歌う。天国はわが胸にある、と。しばた山って、モーセが神から十戒を授かったシナイ山のことだろうか。こういう歌が、離島の漁民たちの間で数百年にわたって、ひそかに歌われ続けてきた。