過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

檀家をやめる(2)もう墓参りはしません。檀家をやめます

檀家をやめる(2)

「もう墓参りはしません。檀家をやめます」
彼は菩提寺にそういった。すると、お寺は、
「墓は必要ないというなら、ちゃんと魂抜きをやってもらわないと困る」と。
「それはあなたの信仰の問題であって、こちらはそんな必要はありません」彼は言った。

そうやって、檀家をやめた友人がいる。

「でもさあ、先祖の遺骨があるでしょう。骨壷は持ちかえったの。それから墓はどうしたの。どうやって処分したの」
そう聞くと、「遺骨もそのまま放置ですよ」と。

「うわっ。それはあまりにすごいね。しかし、お寺が困るよね」

「それはお寺の問題なんだと思いますよ。よく、墓地の改装ということで、無縁墓の処分の告知が新聞にあるでしょう。あれとおんなじで、墓参りに来なくなって、子孫もわからないときは、お寺が処分することになっているですよね。だから、あとはお寺の問題なんですよ」そう友人は言った。

なるほどなあ、そういう思い切った過激なことも可能なんだ。すこし驚いた。

まあ、かれの場合には、都会に暮らしているので、その菩提寺とは近い距離にあるわけではない。

これが、地方で暮らし、あるいは山里に暮らすとなると、そうはいかない。集落のみんなが檀家だったり、和尚とよく顔を合わせたりするわけだから。

そうなると、やはり、いやいやでも菩提寺と付き合わざるを得なくなるわけだ。ある集落から、困った、困ったという声も、よく聞いたりする。

檀家をやめる(1)これじゃあ、まるで「墓質(はかじち)」だ

檀家をやめる(1)

菩提寺の和尚が気にいらない、法外な戒名の布施を要求する、すごく贅沢している、愛想が悪い、威張っている。

うちの和尚じゃなくて、べつの坊さんにおくってもらいたい。あるいは、散骨がいい。海洋葬がいい。樹木葬がいい。

いろいろ供養の話をしていて、そんな声をよく聞く。

けれども、菩提寺があって、そこに先祖代々の墓がある。自分だけの散骨はいいとしても、先祖の遺骨はどうするか。

やっぱり、お寺から離れられない。

ということで、振り出しに戻る。仕方なく、菩提寺と付き合っていくしかない。これじゃあ、まるで「墓質(はかじち)」だ。なんとかならないものだろうか、と相談を受けたりする。

信教の自由だから、檀家を離れることは、もちろん可能だ。
さて、そのとき問題なのが、離檀料みたいなもの。100万円も200万円も要求されたという話も聞く。

あるお坊さんは、こう話していた。「お寺さんに、いかほど? と相談してはいけない。じゃあ200万円と言われたら困るでしょう。家族で相談しました。つきましては、ほんのお礼でございます、とお布施として納めていただければいい」と。

しかし、穏やかに檀家を離れたとしよう。しかし、その後の処理もたいへんだ。

お墓を撤去しなくちゃいけない。更地にして返す。後はきちんとしておかなくちゃいけない。このあたりは、どういう契約になっているかによるが。

そして、あらたに先祖の遺骨を埋葬する墓地を取得しなくちゃいけない。そうなると、なかなか費用がかかる。それならやっぱり、いまの菩提寺のままでいいじゃないか、ということにもなる。

「産前産後の妻から伝えたいこと」完成

きょう冊子(A5判 44ページ)が完成して、納品となった。「産前産後の妻から伝えたいこと」。あわせて、あかりの出産の時の体験も手記として入れた。静岡県男女共同参画地域実践活動事業として。

今月、作らなくちゃいけない冊子は、あと2冊。画集の仕事も止まったままだし。「はやく出してくれないと、死んでしまうかもしれないよ」。昨日、80を超えた依頼主から、そう言われた。

累計は14万6千部となった。増刷。

累計は14万6千部。なんと46刷となった。9年も前に作らせてもらった本だが、まだまだ売れ続けている。ありがたいこと。いよいよ続編に取りかかろうと思う。


改竄はバレる

財務省の公文書の「改竄」が話題になっている。改竄というと、ぼくがかつて裁判で争った相手は、証拠を改竄してきたのだった。

わからないだろう、とタカをくくっていたのだろう。だが、こちらには、すぐにバレてしまった。

そのことで陳述の信頼性も大きく崩れた。もとより嘘を固めた相手であった。次々と嘘に嘘を重ねていき、その整合性をとるために、証拠の改竄までしたのであった。それが、いのちとりになった。

改竄の形跡が窺える。被告本人の陳述は信用性が乏しく採用できない」と判決に書かれている。