過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自家製の麹 そして甘酒をつくった

治りかけた風邪がまた、ぶりかえしてきた。ぼくも妻も。昨日、まちなかに出かけてイベントを主催したので、新しい風邪をもらってきたらしい。

きょうは雨音を聞きながら、のんびり過ごす。

元気回復に甘酒をつくった。自家製の麹からだ。無農薬・無学肥料のうちの田んぼのお米から作った。お米を蒸して麹菌を混ぜ、32度に保温しておく。2日ほどして、お米からほのかに甘い香りがする。麹のできあがり。

おかゆをつくって、麹を入れる。60度に保温すれば、半日で甘酒できる。市販の乾燥麹よりもクセがなくて、飲みやすい。

甘酒は栄養バランスがいい。「点滴」とほとんど同じ成分という。甘酒とはいうが、アルコール分はまったくない。

主な成分はブドウ糖ビタミンB1、B2、B6、アミノ酸パントテン酸など。必要なほぼ全ての栄養が入っている。これだけでも十分、生きていけそうだ。

熱くても冷やしてもおいしい。シャーベットにしてもいい。まったく砂糖を使っていないのに、甘い。米麹が発酵してでんぷん質を糖化する。玄米でつくれば、さらに栄養バランスがよいだろう。

しかし麹はすごい。甘酒も、味噌も、醤油も、お酒もできるわけだ。しかも、自分が作った無農薬のお米というところが、よろこばしい。

人から「がんばってください」と言われると、けっしていい気分がしない

仕事、山積み。子育て、たいへん。「さあ、がんばろー」と妻にいうと、あんまりいい反応がかえってこない。いつもがんばっているのに、それ以上、言われたくないということだ。

「がんばってるねー。よくやってるねー」というと、なんとなく「うん」とこたえてれる。

たしかに、そうだ。ぼくも人から「がんばってください」と言われると、けっしていい気分がしない。ちっとも力づけにならない。

なんだろうね。自分は高みにいて、埒外にいて、なんにも手伝わずに、ただ、がんばって(わたしは関係ないけども)という響きだからかな。

とくに病気の人、苦境に陥っている人に対して、「がんばってください」「がんばってね」というのは、要注意かも。ただでさえ、がんばっているんだからね。

「がんばれ」と何気に使うけど、いい言葉じゃあないなと思う。大切なのは、言葉じゃなくて心。それはわかっているんだけれど。なにかもっといい言葉があるんだろうか。

年をとってきて、気がつくことがたくさんある

若くて元気なときは、人の気持ちがわからなかった。年をとってきて、気がつくことがたくさんある。

あのとき、悪いことしたなあ、ああ恥ずかしい、ああつらい、と。気がつくたびに、自分で自分を苛むことになる。慙愧であり、懺悔でもある。

昨日は、高校の後輩を訪ねた。いけいけ・どんどんできた友人。背は高い。バレーボールの選手だった。高校で体育教師を勤めて、生徒に人気あった。

お互いに年齢も重ねて、過去のことを思い出すと、いろいろと反省ばかり。身を切られるように辛いと感じることもあるね、と話したのだった。

そうしたときには、こう思うしかない。辛いと感じたときに、ああ、これでひとつ一つカルマが完了していく。申し訳ないと感じた時、それで一つひとつ完了している。そう思うしかないよね。

かれはいま浄土宗のお坊さんなので、法然さんの人からにも触れながら、そんな話をしたのだった。


パンを販売に来てくれたHさん。ひょうひょうとした力の抜けた感じが、いい。

「元気にやっている?」というと、いつも虚弱でこんな程度ですからね。コンビニのパンや弁当を食べただけでも、疲れてぐったりしてしまう。数年前に池谷さんに会ったときには、話をするのも疲れて大変なときでした、と言う。

じゃあ、元気で、傍若無人なひとに会うと、つかれてたまらんでしょう、と言うと、元気な人がうらやましいですよ。ぼくは元気だったときなど、ほとんどなかったですからね、と。

まあ、元気じゃないと、その分、他人の気持ちもわかって人柄に味わいがでていい、ということもあるよね。元気でうまくやっていける人は、他人の気持ちがわからないってことがあるからね。そんな話をしたのだった。

ぼくなど人生の下り坂だから、体力も気力も落ちてきている。思うようにならないことばかりがつづく。まあ、そのことで、また一つひとつ心の学びになると思うことにしているんだけれども。

まあしかし、ほんとは、若いときにたくさん苦労して、たくさん気づいて、学びがたくさんあるといいんだけれどもね。年とってからの、学びはたいへんだぁ……。

日蓮の教えの特徴的なことは、神々を認めていること

日蓮のあらわした文字漫荼羅には、インドの神々とともに、天照大神八幡神があらわされている。

鎌倉の祖師たちのなかでも、日蓮の教えの特徴的なことは、神々を認めていることだ。神々を国土を守護するはたらきとして、位置づけているのだ。

日蓮は30代で「立正安国論」を著して北条時頼に警告した。『法華経』の教えを基としないと、日本国は大難に遭うぞと。このままだと、自界叛逆と他国侵逼の難が来るぞ。国内で争いが起こり、他国からも侵略されるぞ、と。

しかしなぜ、『法華経』を基としないと、災いが起きるのか。それは、こういう理論だ。

この日本には、国土を守護する神々がいる。人々が正しい教えを信じて実践することで、神々はそこからエネルギーをもらう。「正しい教え」こそ、神々のエネルギー源である。「正しい教え」は、『法華経』である。

いま、『法華経』の教えが蔑ろにされて、念仏のような邪教が蔓延している。そこで神々は「法味」を味わえなくなった。エネルギーが枯渇して、国土を守護しなくなった。そのために、飢饉、疫病、戦乱が起きているのだという。

ゆえに、正しい教え=『法華経』を人々が信ずれば(立正)、神々はエネルギーを取り戻し、また守護してくれる。国土は安穏、人々は幸せになる(安国)。

日蓮のいう『法華経』とは、南無妙法蓮華経と唱えることにある。その唱題の響きこそが、神々のよろこぶエネルギーであり。それがゆえに、神々は『法華経』の行者を守護してくれる。そのことで、現世は安穏、後生は善処に生まれる、と。

この日蓮の思想は、明治になって国家主義が台頭するとき、国柱会の田中智学、二・二六事件の理論的な指導者・北一輝血盟団井上日召満州帝国をつくった石原莞爾などに共鳴されたのであった。

ただ、宮沢賢治は、田中智学の影響で日蓮主義に入ったが、日蓮というよりも、『法華経』の世界観から童話を書いていった。その最後の手帳には、雨にも負けずの後に、日蓮のあらわした文字漫荼羅が描かれている。