過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

年をとってきて、気がつくことがたくさんある

若くて元気なときは、人の気持ちがわからなかった。年をとってきて、気がつくことがたくさんある。

あのとき、悪いことしたなあ、ああ恥ずかしい、ああつらい、と。気がつくたびに、自分で自分を苛むことになる。慙愧であり、懺悔でもある。

昨日は、高校の後輩を訪ねた。いけいけ・どんどんできた友人。背は高い。バレーボールの選手だった。高校で体育教師を勤めて、生徒に人気あった。

お互いに年齢も重ねて、過去のことを思い出すと、いろいろと反省ばかり。身を切られるように辛いと感じることもあるね、と話したのだった。

そうしたときには、こう思うしかない。辛いと感じたときに、ああ、これでひとつ一つカルマが完了していく。申し訳ないと感じた時、それで一つひとつ完了している。そう思うしかないよね。

かれはいま浄土宗のお坊さんなので、法然さんの人からにも触れながら、そんな話をしたのだった。


パンを販売に来てくれたHさん。ひょうひょうとした力の抜けた感じが、いい。

「元気にやっている?」というと、いつも虚弱でこんな程度ですからね。コンビニのパンや弁当を食べただけでも、疲れてぐったりしてしまう。数年前に池谷さんに会ったときには、話をするのも疲れて大変なときでした、と言う。

じゃあ、元気で、傍若無人なひとに会うと、つかれてたまらんでしょう、と言うと、元気な人がうらやましいですよ。ぼくは元気だったときなど、ほとんどなかったですからね、と。

まあ、元気じゃないと、その分、他人の気持ちもわかって人柄に味わいがでていい、ということもあるよね。元気でうまくやっていける人は、他人の気持ちがわからないってことがあるからね。そんな話をしたのだった。

ぼくなど人生の下り坂だから、体力も気力も落ちてきている。思うようにならないことばかりがつづく。まあ、そのことで、また一つひとつ心の学びになると思うことにしているんだけれども。

まあしかし、ほんとは、若いときにたくさん苦労して、たくさん気づいて、学びがたくさんあるといいんだけれどもね。年とってからの、学びはたいへんだぁ……。