日蓮のあらわした文字漫荼羅には、インドの神々とともに、天照大神と八幡神があらわされている。
鎌倉の祖師たちのなかでも、日蓮の教えの特徴的なことは、神々を認めていることだ。神々を国土を守護するはたらきとして、位置づけているのだ。
日蓮は30代で「立正安国論」を著して北条時頼に警告した。『法華経』の教えを基としないと、日本国は大難に遭うぞと。このままだと、自界叛逆と他国侵逼の難が来るぞ。国内で争いが起こり、他国からも侵略されるぞ、と。
しかしなぜ、『法華経』を基としないと、災いが起きるのか。それは、こういう理論だ。
この日本には、国土を守護する神々がいる。人々が正しい教えを信じて実践することで、神々はそこからエネルギーをもらう。「正しい教え」こそ、神々のエネルギー源である。「正しい教え」は、『法華経』である。
いま、『法華経』の教えが蔑ろにされて、念仏のような邪教が蔓延している。そこで神々は「法味」を味わえなくなった。エネルギーが枯渇して、国土を守護しなくなった。そのために、飢饉、疫病、戦乱が起きているのだという。
ゆえに、正しい教え=『法華経』を人々が信ずれば(立正)、神々はエネルギーを取り戻し、また守護してくれる。国土は安穏、人々は幸せになる(安国)。
日蓮のいう『法華経』とは、南無妙法蓮華経と唱えることにある。その唱題の響きこそが、神々のよろこぶエネルギーであり。それがゆえに、神々は『法華経』の行者を守護してくれる。そのことで、現世は安穏、後生は善処に生まれる、と。
この日蓮の思想は、明治になって国家主義が台頭するとき、国柱会の田中智学、二・二六事件の理論的な指導者・北一輝、血盟団の井上日召、満州帝国をつくった石原莞爾などに共鳴されたのであった。
ただ、宮沢賢治は、田中智学の影響で日蓮主義に入ったが、日蓮というよりも、『法華経』の世界観から童話を書いていった。その最後の手帳には、雨にも負けずの後に、日蓮のあらわした文字漫荼羅が描かれている。