過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

山里の過疎地は反転上昇することがあるのだろうか

年末年始に出会った人の平均年齢は、88歳。

①86歳(ひとり暮らし)の女性、来訪。スマホが通じないというので電源のリセットと充電のサポート。スマホの使い方をアドバイス。お餅をいただいた。亡くなった父親の尋常小学校の生徒代表の答辞の原稿ができたので、それを読ませてもらう。

②93歳の男性(ひとり暮らし)を訪ねた。精魂込めてつくっていた畑は荒れはてている。「足腰が痛くて、もうできない」。デイサービスにも通いだした。「もうだめだよ。あんたに鉄人と言われたけど、もうだめになっちゃった。わはは」。「乾燥シイタケ持ってくかぁ」。いつも、いろいろいただいてくる。

セニアカーに乗って来訪、83歳の女性(ひとり暮らし)。ここまできたが、バッテリー切れでこちらで充電する。クルマで送っていく。機織りをしている方で、うちの施設に機織り機を2台もってくることになった。みんなで機織り、やってみたい。

④草野球のピッチャーをしている81歳の男性。うちのオープンテラスやスーパーハウスなどを見て「おもしろいことをはじめたなあ。おれも10年も若ければ一緒にやりたい。でもその気持だけはあるんだぞ」。春には安来節(ドジョウすくい)を演じてもらう。

⑤100歳をむかえた女性の誕生日祝いに行く。まだまだお元気だ。合掌してもらえてくれた。いつも一緒に歌をうたう。
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まあ、こんなわけで、山里は超高齢者ばかり。よくいえば、「達観」されている。悪くいうと「なにをやっても、もうだめだよ」。

あちこちで家は解体。店は閉じる。集落ぜんたいに、諦観の空気が蔓延。さらには、地元を愛する心、山里の伝統を誇りに思う心が、どんどんと空洞化しているともいえる。

さてさて、このような山里の過疎地は反転上昇することがあるのだろうか。いまのところ「まったくない」。消滅していくのみ、という見込み。

まあしかし、衰退し、消滅していく山里に暮らすというのも、いろいろ深い縁があってのこと。ここで暮らして死んでいくことは決めている。楽しめることはできると思う。