過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

空き家の活用の道

利用者さんの迎えに行く時、近くの山里を経由すると、空き家ばかりが目につく。空き家は、まったくの負の遺産だ。寂れと衰退と終焉の感じが漂う。
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このコロナウィルス時代は、収束まで、一年も二年も続くという予測もある。いつ収束するのか、だれにもわからない。ウィルスもさらに進化して手強くなっていくかもしれない。
ライフスタイルは全く変わってくる。テレワーク、テレコミュニケーションに。高い住居費を払って、首都圏に暮らす意味がなくなってくる。
そうして、生産拡大、利益拡大の資本主義は、変容していかざるを得ない。なんとか食いつないでいく生き方、循環型で最低限の持続可能性ある暮らしの価値。それが、見直されるかもしれない。江戸時代型というか。
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そうなると、都会から田舎暮らしに移行する動きも出るかもしれない。田舎は水がきれい、自然燃料がある、畑がある、田んぼができる、山菜がある、間伐材を活用した木工も家づくりもできる。
田舎暮らし、山里暮らしに価値が出てくれば、こうした空き家も活用の道が出てくるかもしれない。
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昨日は、解体する予定の空き家を、なんとか活用して、ベトナムの青年に貸そうかという話をすすめていた。地主と家主と解体業者と話をつけているところ。しかし、タイミングと田舎の事情ゆえ、かんたんではない。こういうのは、ほんとうは行政がうごくといいんだけどね。

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