過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

パンデミックの現実と、どうダンスするか

①「パンデミックは起きている。さらに起きる」。
感染者数は、いまの10倍か100倍か。わからない。日本の検査の拒否率は90〜98%なので、感染者数は把握できていない。さらには、「死因」など検査しないので、致死率も定かではない。肺炎の死者の中に、コロナ感染者の死も含まれているはず。
糊塗、隠蔽、改ざんの体質がつづく。これは、原発事故のときとおんなじ。それは、無責任による放置とうつる。国民の不安を煽りパニックを起こさせないためでもあろう。そうして実のところ、感染を抑え込むだけの体制、能力がないために、放置していくしかないという現実。
 
②「強権支配の動き」。
これまでの、もろもろの政治的な不祥事、都合の悪いことなど、すべて背後に押しやってしまう。たとえば、森友、桜を見る会、カジノ問題、種子法の問題、さらには年金など、どうでもよいということに。
いまの恐ろしい現実に対処することだけに意識を向けさせる。
そうして、恐ろしく迫ってくる現実に対して、緊急事態法とか、戒厳令とか、強権的に民衆を支配しようという動きが出てくる。まさに「ナチスの手口に学べ」ということだ。ワイマール憲法というもっとも民主的な憲法のもとで、ナチスが国民の大いなる期待を受けて台頭したように……。
 
③「無力感による支配」。
「糠に釘」「暖簾に腕押し」。どうせだめ、なにを言っても動かない。自分たちには力がないという、徹底した無力感で支配してしまうという構図となってゆく。マスコミが大きく手を貸している。
政府は、責任を負う気概なし。責任を感じない存在とは、ゲームが始まらない。勝負にならない。こちらは、最初から負けてしまっている。しかも、ゲームのルールは相手が持っているのだ。ますます無力感に陥る。
このままでは、忍従と諦めが蔓延する。人々は、家畜のような、奴隷のような生き方となる。奴隷たちは、自分の鎖の重さを自慢するる。「これだけ、重たいんだ。これだけたいへんなんだ。これだけつらいんだ」と。そのことを自慢しあう。鎖を断ち切ろう、それがもっと大切なこととは考えない。やがて、鎖を鎖とすら感じないことになる。
 
④「背後にあやつる存在がいるのか」。
世界的にパンデミックが起きている。そのエスカレートの速さが尋常ではない。感染の拡大の事実と、それに対する予防策としての管理のものすごい速度よ。都市封鎖、外出禁止、外出したら逮捕、監禁、撃ち殺すとまでいう国まである。
感染の脅威が、もしも事実でない、あるいは陰謀だとしたら、だれがなんの目的で、ここまで煽っているのか。だれが得をするのか、なにを潰そうとしているのか。よく見えない。
外資が儲けようとしているのか。ワクチン会社の利益のためか。弱き者たちが姿を消すことで、健全な世界経済にしようということなのか。あるいは、人々を恐怖と無気力で支配して、思うがままにしようという勢力なのか。わからない。
 
⑤「事実として、どうダンスしていくのか」。
背後で操る存在がいるとかいないとかは、わからない。事実として、感染者数は急上昇。外出も禁止されてゆく。事業は行き詰まり、経済は大停滞。その現実とどのようにダンスするのか。
トイレットペーパー、マスク、アルコールは、事実としてスーパーにない。なんとか買い求めて備蓄するしかないので、みんな買いに入る。それをどうしたらいいのか。そのうち食料がなくなる。米が小麦が麺類がなくなる。食いつなぐ道を探るのみ。
 
⑥「死と向き合うことに尽きる」。
ここから飛躍する。つまるところ、死の恐怖ということに尽きる。死ぬのが怖い。死そのものは、つらくないかもしれない。しかし、死に至るプロセスが怖い。
死ぬのは恐ろしいことなのか。つらいことなのか。残念なことなのか。そもそも、死とはなにか。そこをぐっとつきつめていく必要を感じる。
たとえば、死とは限りない解放である。光明である。寂静な世界である。そうかもしれない。
そうだとしたら、怖がることはない。いや、怖がってもいい。しかし、ただしく怖がることで、安穏な境地でこの世とおさらばできるのかもしれない。
つまるところ、死はとなにか。そして、この生とはなにか。この現実、この日常とはなにか。どう生きるべきか。そこの問題となる。
 
⑦「いまここにしっかり意識を向けること」。
過去の後悔、未来の不安は限りなくあるが、生きているのはも、いまここの現実しかない。いまここに、直面する。いまここにいる。いまここに、しっかりと意識を向けていく。ということになろうか。
ともあれ、つぎにどういう時代が来るのか、どういう世界が立ち現れるのか、それを見届けて死にたい。この起きてくる現実とのダンスをしつづけていく。まだまだ死ねない、というところにいる。
 
※あくまで、自分の頭の整理のために書いている。就寝前に、iPhoneに向かって喋って音声入力。朝、編集するというパターン。頭の中のものを文章にして、整理してまとめるというトレーニングに。