過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

点と点がつながって山里めぐり

適度な緊張とリラックス、集中とエネルギーの躍動。予期しないことばかり。しかし、次から次へとうまくジグゾーパズルがつながって、絵柄が出てくる。最初はどのような絵柄か、ちっともわからない。 その絵の奥の奥に、また違う絵がでてくる。いま進めている「空き家の解体」、「インドネシア人家族の山里移住計画」、「神社・寺・教会カフェ」など、いろいろある。縁にしたがって、動いていくだけ。
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妻がまちなかに行くときに、クルマにガソリンがない。途中でガソリンスタンドに寄ればいいと思いきや、なんと休み。妻が「ガソリンがないよー」と連絡してきた。

ちょうどその時、「空き家の解体現場を見たい」ということで、森町の入澤さんが来訪した。落札した現地のこと、北遠ネットワーク作り、つもる話がある。

「いろいろ話があるけど、まずとにかく、その火を消さなくちゃ」と入澤さんが言う。軽トラからガソリンを抜いてもらい、ガソリンタンクを積んで、待っている妻のところまで行く。この件は、これで完了。
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ここまで来たので、じゃあ山口さんの家に寄ってみよう。訪ねると、家の中で山里の子どもたちが走り回っていた。「ライオンキング」のミュージカルの練習をしていた。教えるのは、それこそ宝塚レベルの人だ。

ここの主(山口さん)は謡などをならっている。そこで閃いた。解体の現場で、舞ってもらおう。「屋根が落ちた時に、そこを舞台に舞ってもらえませんか」。「ああ、いいよ」と気軽に受けてくれた。『敦盛』(あつもり)の「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」というところだ。

「ちゃんとした舞台などないですよ。廃材やら山積み、ドラム缶で火を炊いて煙もくもく。近くにダンプとユンボがあって、ぐしゃぐしゃ。そんなところでもいいですか?」

「そんなところだからこそ、おもしろい」と言ってくれた。「でも、笛があるといいな」。「じゃあ、ぼくが、下手くそな尺八か簫(Xiao)でも、吹きますか。あるいは、前田くんにティンホイッスルかアイリッシュフルートを吹いてもらいます」と。ほんとは篠笛がいいが。
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次に山繭を飼育して機織りしている鶴田さんを紹介した。天然の繭の糸は、うすい緑色で光っている。、紙漉きもしている。すると、その奥の部屋を作業場に借りている若林君が竹細工をしていた。

そしてやっと、ほんらいの目的の解体現場を見てもらう。帰りに農機具屋さんに寄って、建物の解体の方法についてやりとり。ユニックで釣り上げるよりも、チェーンブロックで引っ張って倒す方式がいいかな、とか。

その帰りに、じゃあついでに、事業が見事に成功している「川音の郷」(オートキャンプ場)の畑中さんの所を訪ねてみよう。

話が盛り上がり、「ありゃりゃ、あかりを保育所から連れ戻す時間だった」と思いだして、大急ぎで帰る。

途中、先日、落札した400坪の現場を見てもらう。積もる話があるのだが、時間がない。はい次、はい次と、いろいろな案件を俊敏な卓球のようにやりとりする。スピード感があってはずんだ楽しい会話となる。
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ガソリンを持っていく、という野暮用から、ついでに、ついでに。こうして、点と点がつながっていく。「牛にひかれて善光寺参り」みたいなものだ。

本来の目的じゃないのに、ふとした直感で立ち寄ると、おもしろい流れになっていく。無軌道のジェットコースターに乗ったような、変化と危なさ、ワクワク感がある。まあ、ぼくの人生、そんなことばかりだ。

ビジョンはあるにはある。しかし現実は、行き先、つねにわからず。どうなるか、わからず。ずっと後でわかってくることは、あるのだが。人生は冒険そのもの、と。

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