過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「突然」にシフトするというありよう

子供を観察していると、「突然」にシフトする。ある日、突然、できるようになる。「突然」立ち上がる。歩きだす。ことばがつながる。身体の動きがつながる。そういう面がある。

植物が少しずつ成長していくみたいに、いつの間にか……というところも、たしかにある。「突然」といっても、すこしずつ用意されてきて、その成果としての「突然」なんだと思うけど。

シフトというのは、クルマのギアのシフト、あるいはパソコンのShiftキーのように、ある種の「次元転換」みたいなもの。できないことができるようになる、というのは、そういうことかなあとも思う。

ぼくは、中学時代に器械体操部にいたので、なんとなくその感じがわかる。後ろ宙返りの練習を幾度もやりつづけると、できるようになる。自転車に乗れない子が、乗れるようになるという感じかな。できるときは突然できる。シフトするんだと思う。

人生も「突然」のシフトがあるんじゃなかろうか。努力して、努力して、がんばって、歯を食いしばった延長に成果があるということもたしか。

なんだけど本質は、突然に、できてしまう。意識が変化する、ということもある。

弁証法じゃないけど「量的拡大は質的変化を引き起こす」と。質的な変化のためには、量的な拡大、繰り返しが前提かもしれないけどね。

ともあれ、なあんだ、こういうことだったのか。かんたんじゃん。ということがある。

で、言いたいことは、努力さえしていばなんとかなる、頑張った先にいいことがある。そういうありようじゃない。

まさにいまこの瞬間、いまこことで、変わりうる。クルマのギアをシフトするよに、Shiftキーを押すように、次元転換がありうるということ。

子どもを見ていて、そのあたりを学ぶところ。この投稿、抽象的になりすぎなので、また具体例で書いてみようと思う。