過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「仕事がない」「貸してくれる空き家がない」「地域の閉鎖性」の3つ

田舎暮らしをしたいひとが増えているのは、たしかだ。都会暮らしは、コストが高いし(とくに家賃)、子育てもたいへん、満員電車通勤などストレスも多い。ゆったりと田舎で野菜を作りながら暮らしたい、という自然派志向が増えてきている。ますますその流れは加速していくと思う。

けれども、田舎暮らしの難しいところは、大きくいうと3つかな。「仕事がない」「貸してくれる空き家がない」「地域の閉鎖性」と。

まず「仕事」だ。買い物の不便さなどは、ネットを上手く使えばクリアーできる。でも「仕事」がなければ、いくら自給自足できたとしても、つづかない。通信費、子供の教育費、クルマの維持費、燃料代、医療費など。現金収入がほしい。田舎には、会社もないので仕事がない。バイトでつなぐとしても、安定はしない。

そして、「空き家」だ。若い世代は、土地を買って家を建てるまでして、田舎暮らしはできない。まずは、安く貸してくれる空き家がほしい。そうして、田舎はあちこち空き家ばかりだが、しかし「貸してくれる空き家」はなかなか、ない。

そうして、「地域の閉鎖性」。都会とちがって、人間関係は濃密すぎる。暮らしている人は、60年も70年も、そこに暮らし続けているひとばかり。親の代も、その親の代からも。血縁関係も強い。あちこち親戚つながりだ。

そこに、いきなりパラシュートで落下するように住むことになる。10年暮らしても、20年暮らしても、ずっと転校生みたいな扱いになる。習慣も考え方もちがう。葬式、村祭、消防団、草刈、水路の掃除やら、いろいろと役がある。「庚申さま」といって、毎月、集まって祝詞やお経を読んで、酒を酌み交わすなんて集落もある。毎月、自治会費を払うために集まらなくちゃいけない。

というわけで、夜空の星、清流、森、美しい自然のなかで暮らそうとしても、むつかしいことがあるわけだ。でも、そうしたなかで、たくましく田舎暮らしを楽しめている人はたくさんいる。

ひとりで家をつくり、木工をし、田んぼを作り、村人とうまくコミュニケーションをとって、頼りにされているひともたくさんいる。なかなかの達人たちがいるのだ。

かれらとネットワークをつくって、交流していくのも田舎暮らしのおもしろさのひとつ。都会暮らしだと、生活スタイル、暮らしぶりまでみえないことがおおい。田舎暮らしは、そのひとのライフスタイルがあらわになる。それぞれの暮らしの工夫力、楽しんでしまえるチカラなどを共有していくおもしろさがある。