過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

考えを止める(1)

考えを止める(1)「自分」と「自分の考え」は、イコール。「自分」と「自分の考え」は、切りはなせない。自分の考えは、自分そのもの。自分というものは、考えている自分である。デカルトのいう「われ思う故にわれあり」だ。

じゃあ、考えがなくなったら、自分はどうなるか。考える機能がなくなったら、自分という存在はなくなるのか。いや、考えがなくなっても、自分という確とした存在感はあるんじゃなかろうか。その存在感そのものが、自分であると。

考えは、自分のもの。自分の支配下にあるともおもうが、しかし、そうでもない。「考えをやめてごらん」と言われた時、考えはやめられない、止まらない。考えをスタートすること、考えを変えることはできると思うが、止めるというのがむつかしい。止めようと思うほどに、つぎからつぎへと浮かんでくるのが、考えだ。

つぎから次へと浮かんでくる考えによって、自分は支配されているような気さえする。この考えを止めるにはどうしたらいいか。