過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

納得のいく〈看とり〉と〈おくり〉を考えよう 企画書

タイトル:納得のいく〈看とり〉と〈おくり〉を考えよう

〈背景と目的〉人生において、親しいひとの〈看とり〉と〈おくり〉はかなり重要なことである。けれども、納得のいくことが、むつかしい。必要以上の延命治療などで、心からの〈看とり〉ができにくいこともある。息を引きとれば、そこからは葬儀社の出番。じっくり考える時間もなく、僧侶による儀式、告別式など、しきたりに従って慌ただしくすすむ。かなりの費用もかかる。

「みんながそうやってきた」とか、世間体や慣習だけでなく、ものごと本質から考えたい。もっとシンプルにできないか、もっと心のこもったものにできないか。そもそも仏教での葬儀(僧侶のお経、戒名、法事)に、仏教の本義から照らしてどんな意味があるのか。

やがて自らが看とられ、おくられる日がくる。そのためにも、どういう準備、どういう心構えが必要なのか、みんなで智慧をだしあっていきたい。

〈具体的な展開〉シンポジウム(当事者の体験トークとパネルディスカッション)を開催する。講師は、看取りとおくりに関わる仕事をしているひとたち(医師、介護士、看護師、セラピスト、僧侶、神父・牧師、神職、葬儀社、墓石屋など)。自ら〈看取り〉と〈おくり〉を体験したひとたち。そういうひとたちから体験をきいていく。

一方的な話ではない。教養を積む講座ではない。当事者の話を素材にして、参加者がともに語りあい、学び合い、考えを深めていくことが主眼となる。

第1回:看とりについて(医療や介護関係者、体験者)
第2回:看とりについて(医療や介護関係者、体験者)
第3回:おくりについて(僧侶、神職、神父・牧師、体験者)
第4回:おくりについて(僧侶、神職、神父・牧師、体験者)
第5回:おくりについて(葬儀、墓石、供養に関わるひとたち、体験者)
第6回:全体の総括

〈効果・展望〉
さまざまな当事者、体験者のトークに接することで、いろいろな看取りとおくりの方法があることがわかってくる。これしかない、という思い込みの枠が外れてくる。さまざまな選択の道があることがわかると、そこに安心がある。いざというときの心の準備にもなる。

シンポジウム参加者同士の交流が生まれ、たがいにサポートしあえる関係性に高まっていく。

愛する人を看とること、おくること。──人生において、もっともたいせつなことを、伝統やしきたりだけではなく、その本質から考える。それは、自らの生き方を見据えることにつながる。この連続講座をきっかけに、ひろく全国的なムーブメントを起こしてきたい。

※こちらも浜松市の文化事業としての提案。かなりディープな講座になると思う。採択されれば、だけど。