過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

三笠宮のおはなし

心臓の手術を受けていた三笠宮の意識が戻られたというニュースに接して、宮様の思い出話を。▲数年前、あるパーティで宮様のお話を聞いたことがあった。知人の年配の女性がカレッジの理事長をしており、宮様はその集いの名誉顧問をされていたのだった。▲パーティでは、上原まりさんによる平家琵琶の演奏があった。平家物語の冒頭から、壇ノ浦と続いた。ときに幽玄、ときに激しい心臓の鼓動を感じさせるような琵琶の響きであった。

席上、スピーチを頼まれるた宮様は、「ぼくは帝国軍人だから、マイクは使わないよ」といって、大きなよく通る声で話をされた。宮様から、いきなり「帝国陸軍」という言葉を聞いて、ちと驚いた。なにしろ昭和天皇の弟だしね。▲宮様は戦争中には、支那派遣軍におられて、大本営参謀をされていた。戦争終結を模索し、陸軍少佐らと共に東條内閣打倒のクーデター計画を立てたという説もある。▲スピーチは、そんなキナ臭いものではなくて、上原ゆかりさんが宝塚出身なので、大の宝塚ファンであって宝塚の思い出、宮中の正月の料理のことなど、なかなか気さくな語りであった。

ところで、宮様がそのカレッジの顧問になったきっかけは、こういうことだ。▲当時、東京女子大古代オリエント学の講義をされていて、電車に乗って通勤されていた。吊革につかまって立っていた宮様を見つけた理事長が、直接、講演をお願いしたのだという。

宮様は突然の申し出に、ええ? ときょとんとしたが、その方の勢いにも押され、そのまま承諾したという。そして、やがて顧問に就任することになる。▲女性ゆえの行動力というか、宮様にいきなり講演をお願いしてしまうという俊敏さと度胸もあっぱれ。なんのためらいもなく、そのまま顧問を受けてしまったという宮様も、微笑ましいなあと思った。