過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

海辺に育ち、山里に嫁いできた方の自分史づくり

こちらは83歳になる方の自分史。海辺に育ち、山里に嫁いできた方だ。
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幸浦海岸のちかくに暮らしていた。朝5時ぐらいから毎朝沖に船が出る。村人たちは、みんなで地引網を引く。アジ、サバ、イワシイカがたくさんとれた。シラス(イワシなどの稚魚)が網にいっぱい詰まっていた。子供たちには、小さな魚をたくさんくれた。

月夜には、大きなウミガメがやってくる。ほんとうに涙を流しながら産んでいた。産卵が終わると、砂を掘って深くに埋めて海に帰っていった。

しばらく日が経った頃、父親と夜明けに砂浜に行ってみると、卵から小さなウミガメがいっぱい孵っていた。孵ったばかりの子ガメたちは、一斉に海へ向かって歩いていく。波にさらされてひっくり返ったり流されたりする。それでも海に向かって歩いていく姿は、ほんとうに愛おしいものであった。

屋敷の庭が広くて、よく御嶽教の火祭りがあった。御岳教の行者が来て護摩を焚いた。白装束をして呪文を唱えて火をつける。もうもうと煙が立つ。最後は参加者みんなで火渡りをした。残った炭は魔除けになるといってみんなが持ち帰った。

そんな海で育った私が山里に嫁いできたのだ。はじめて春野にきて泊まった日の朝、起きてみるとあたり一面が山なのでとても驚いた。

お茶の季節になると、早朝から手伝った。お茶はまったくツヤツヤした新芽を摘む。「こんな新芽を摘んでいいのかしら」と言うと皆から笑われた。
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書いていての感想。
ウミガメの赤ちゃんが海に向かって歩くのを見に行きたい。
とりたてのシラス丼を食べに行きたい。