過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

日本山妙法寺の浜松道場を訪ねた

先日は、日本山妙法寺の浜松道場を訪ねた。雨の中、ちょうど庵主さんが帰寺されたところだった。インド布教40年という森田上人をお迎えての集いを主催(6月3日)して、上人はこちらに宿泊していただいた。庵主さんにお世話になった。

まずは本尊に向かって、ともに南無妙法蓮華経とお題目を三唱。そして、尼さんに挨拶。お寺を訪ねる時には、お寺の中核は本尊=仏さまということで、まずそちらに挨拶するわけだ。日蓮宗系の場合には、南無妙法蓮華経というお題目が、いわば挨拶のことば。帰るときも、同様になる。(宗派によって、いろいろ雰囲気は異なる)

道場主の尼さんは、50で出家された方で、ひとりで仏様にお仕えしている。団扇太鼓を叩いて原発反対、核兵器反対などの行進をよくされている。どこに行くにも、つねに黄色の法衣だ。檀家はいないので葬儀などの法事はほとんどない。加持祈祷もされない。

日本山妙法寺創始者の日達上人、宗祖の日蓮聖人、依経である『法華経』談義で盛り上がる。

法華経』は、固定観念を外して読むと、日蓮の教えと行動には、『法華経』と矛盾しているところがみえてくる。そんな話から始まる。

日蓮は「勧持品」の偈を身で読んだというが、それは迹化の菩薩の誓願の言葉。釈迦の教えは「安楽行品」に示されている。さらには、本化というからには、地涌の菩薩のようでなくてはならない。また、日蓮は故意に『法華経』の開経である「無量義経」の文句を曲げて引用している箇所もある。

また『法華経』それ自体、雑多な経典の寄せ集めで、「観音経」やら「陀羅尼品」やら複雑。日蓮系は、南無妙法蓮華経第一と言いながら、「陀羅尼」を呪するのはおかしい。日蓮は他宗派、とくに真言密教を批判するが、結経である「普賢経」には、釈迦如来=毘盧遮那仏(すなわち大日如来)という言葉もある。

日蓮の消息文は、第一級の名文で、文章に勢いがあって鼓舞される。だがその多くは、日蓮の滅後、宗祖の名によって書かれたものが多い。すなわち、偽作、あるいは真偽未決。それらがじつに名文である。たとえば、「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」あるいは「種種御振舞御書」などたくさん。

ほんとうに日蓮を学ぼうと思う時、それは真筆に依るのが正しい。立正安国論、開目抄、観心本尊抄、撰時抄、報恩抄などの真筆あるいは曽存の五大部と。

それから、法華経の行者の霊能の人、祈りの力、三大秘法の戒壇についての話も。

そんなぼくの話を庵主さんはおもしろがって聞いてくれて、目からウロコが落ちるようだ、驚いた、おもしろいと言っておられた。

山里に移住してから、こういう話をする相手がいないので、楽しい語らいの場になった。ふらっと訪ねては楽しく談義ができるお寺があるのは、ありがたいこと3年続けて開催した「神社・寺カフェ」を主催したことのおかげかと思う。