過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

戦前戦後の山里の暮らしぶりを伝えるものを知りたい

この山里は、浜松市に吸収合併(平成大合併から)されて十年余になる。周智郡春野町から、浜松市天竜区春野町となった。
ぼくは合併されてから移住してきたので、それ以前の春野町のことはよく知らない。
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合併しなかった他の市町の人たちと語ると、郷土に対する誇り、愛情、歴史探求、まとまり感がずいぶんとちがう。
こちらの山里は、無力感、衰退感、なにをやってももうだめだなあ、という寂寥感がひしひしと感じられる。
合併したから、そうしたことになったのか、もともとそういう傾向があったから合併となったのか、よくはわからないが。
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古き春野町の文集、古文書研究会の合本などを見ると、ずいぶんと人材がいたことがわかる。
とくにえらい人がいたということではなく、普通の集落にそれなりの人がいた。
たとえば、先日、知人の家でみせてもらった老人会の冊子。ガリ版刷りのものだが、蚕の暮らしのこと、シベリア抑留記など、とても参考になる。この集落は、いまや9世帯ほどになってしまった。
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なにより地域の老人会がこうした文集を出そうということ、文章にまとめること、きちんとした字でガリ版刷りにしたこと。それだけでも、たいへんなことだ。
いまや春野の各地では、もう老人会はなくなってきている。古文書を読める方など、春野にはいなくなった。また、春野町に遺っているはずの古文書の保管(たとえば、鎌倉時代新田義貞に充てた天野氏文書など)どうなっているのか、よくわからない。
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ま、そうした歴史文書もたいせつだが、戦前戦後の山里の暮らしぶりを伝えるものを知りたい。
どうやって生計を立てていたのか、山林や養蚕の仕事、お茶の栽培。普段の日常庶民の暮らしがわかる文書など、集めてみたいと思ったりする。自分にはそうしたエネルギーも時間もないのだが……。
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